奥明日香

奥明日香
最新のウォーキング

2008年12月31日水曜日

2008年 後厄の大晦日

後厄の大晦日、そばを打ち十四代を楽しむ。 料理教室「めん打ちの会」で学んだそば打ちを、大晦日に実践。 そば粉500㌘、薄力粉200㌘(本来は中力粉)、水300㌘。 購入したばかりのそば打ちセットを拡げて、そば粉+薄力子粉をこねて、のしいたでそばをのし、平行して、鴨肉をソテーし、牛蒡・ねぎを用意し、そばつゆ(今回は市販のもの、次回は「かえし+だし」)を用意し、一寸太目のそばだったので、茹で時間40秒で初舞台を踏む。家族は一寸固めとのコメントだったが、打った本人は、納得のそば。 さらに今夜は、十四代の絞りたてを飲みながらなので、文句のつけようはない。
2009年は、そば打ちに割く時間は確実に増えそうだ。もちろん旨い酒も一緒に。

2008年12月26日金曜日

「英国王給仕人に乾杯!」を観た。

「英国王給仕人に乾杯!」を観た。 新聞の映画評のとおり、なんていう映画だと映画に乾杯。 きっかけは、日経の映画評の記事。詳細はなく、「とにかく面白すぎた」というニュアンスのコメントと、最高の★印を見たこと。


映画は有楽町の”シャンテシネ”、20時からの飲み会の前にと、東京駅から歩き、映画館に入ったときはほぼ満席に近い状態。再教育監獄から、15年の刑が恩赦で14年9ヶ月になり出所する場面から、主人公の幸福と不幸のどんでん返しの半生が始まる。 時は1910年代、処はチェコスロバキア、背景はナチが勢力を伸ばし始めたころから、占領、終戦、二月事件から、15年後。百万長者を目指す、小さな青年の、物語。映画の内容とタイトルは、最後の乾杯のシーンか。 

駅、ホテルの食堂、天国の館、高級ホテル、ホテル パリ、・・・出てくる役者、久々にすごい映画を観たと思った。欧州映画では、ニューシネマパラダイス、ライフイズビューテイフルに続くクオリテイで、最高の映画の一つ。

http://www.bowjapan.com/iservedtheking/
上映時間、2時間、1000円は安すぎる。 18時45分に終わり、20時からの飲み会まで時間があったので、華やかな銀座を抜けて茅場町まで歩いた。
チェコ映画の有名な監督だそうだが、まったく知らなかったので、別の作品を観てみたいものだ。

初めてそばを打った

初めてそばを打った。 料理教室、二年目で選んだコースが、「めんを打つ会」。 今年で最後のコースということで、11月の一回目は、「うどんすき」。 そして二回目の12月24日が、七三の鴨せいろ。 そば粉、180㌘に中力粉、70㌘。すでにそば粉と中力粉が混ざったビニール袋からステンレスのボールに移し、平らにし約110㌘の水を三回に分けて注ぎ、そばをこねる。 手に粘りついたそば粉を落としながら、ダマ状態から一つの塊になるように固めていく。土を捏ねるのと同じ要領でそばを捏ね、料理教室では後半のデモのため中断し、鴨汁の準備を見てから、のし板の上でソバを延ばし切る。その次に、駒板を使い、そばを切り、ほぐしてから最後の茹でる作業に。今回は、二ミリ幅なので、そばを沸騰した湯に入れて、再び沸騰してから30秒で取り出し、水にさらし、氷水で引締める。 今回は、切ったそばの三分の一を教室で試食し、残りを密閉した容器に入れ、家に帰って賞味。 一時間近くゆれたせいか、切ったそばがつながったりしたが、歯ごたえ腰、手打ちの旨さを確認。教室でそば1.5㌔、打ち粉、500㌘購入し、大晦日に備えることに。 さらにそば打ち道具、中級を会津若松の中村豊蔵商店に大晦日に間に合うことを確認し注文した。最初のコースが鴨せいろなので、近くの鶏肉屋で、合鴨を購入。 道具ほか、舞台装置をそろえて、大晦日を待つばかり。

2008年11月30日日曜日

飯田橋から池袋まで歩いた


飯田橋から池袋まで歩いた。 小石川といえば小石川植物園、後楽園といえば遊園地か球場しか思い浮かばなかった。小石川後楽園に初めて行き、さらに池袋まで歩き、東京のど真ん中にこんな空間があることを発見。

小石川後楽園は、水戸藩初代藩主から水戸光圀公の時代の上屋敷、庭園の設計を京都や中国(当時は、明から清)を参考にし回遊式庭園を造っている。当時の江戸の光景は分からないが、現代の感覚で言えば、田舎の光景ではないかと思うが、そのような中で、庭園を作ることの動機には興味ある。


一時間半ほど庭を観賞し、昼食後に、池袋方面への散策。江戸時代の上水道跡地、水道端通り、永井荷風の通った黒田小学校跡、江戸川橋、野鳥の森公園、関口の芭蕉庵、ここも文京区にこんなところがというほど、見事な空間が、隣の椿山荘とは真逆な空間、胸突坂を上り、文京区の散歩道を進み、日本女子大寮から雑司が谷商店街を抜け、都電三ノ輪線をすぎると、三の酉の屋台とお囃子が一寸物悲しい、大鳥神社を通り抜け、鬼子母神へ。鬼子母神入り口には樹齢、600年のイチョウのご神木に一礼し、寺の密集している南池袋を抜けると、ちらほらと赤提灯が見えてくると、角を曲がるたびに池袋東口の雑踏の中へ迷い出た。 飯田橋から池袋まで、6㌔ほどを二時間近く、退屈しない散歩になった。東京にもこんな空間が残っていたとは。


山手線の駅を基点に、散歩のコースは一杯ありそうだ。

2008年11月26日水曜日

料理教室二年目

料理教室二年目は、「めんを打つ会」。 初回は、うどんすき。「うどんすき」は美々卯の登録票標とのこと。うどんは、中力粉200㌘に塩小さじ二杯いれた100ccの水を用意し、三度にわたり小麦粉に加えてこねるが、45%の水量がベストとのことで、大匙一杯ほど残す。 力を入れて十分ほどこねてから丸めて、30分以上寝かす。 その間、京がんもの味付け、こんぶとかつおによるだし汁を用意する。うどんすきの具は、京がんものほかに、鳥肉、海老、はまぐり、しいたけ、サトイモ、白菜、にんじん、三つ葉に薬味に万能ねぎ。

次に寝かせたうどんを麺棒で伸ばし、切る作業に入る。屏風たたみにして、三分の一を昼食用に、残りを持ち帰りようにする。

材料が揃ったところで、土鍋に出汁と調味料を加え、ハマグリ、鶏肉、海老の順に加え、熱くなったところで、白菜、しいたけ、さといも、にんじんを加え、最後に三つ葉を乗せる。 今回は、出汁で使った、昆布を使って佃煮を作った。 一寸茹で時間が短かったか、佃煮には今一歩。
土鍋をテーブルに移し、会食。出汁のとれたうどんすき、初めて打ったうどん、共に納得の味。
次回、12月はそばを打つ予定。道具に嵌りそうな予感が。

2008年11月11日火曜日

邪馬台国

邪馬台国、倭、卑弥呼。 いづれも中国の三国志魏志倭人伝ほかに記述されている、三世紀前後の日本列島と思われる国に関する記述だ。同じ時期に関する日本側の記録はない。 なんといってもその時点では記録すべき文字をもっていなかったのだから。


最近、日本の出発点に関する本を読み始めているが、人の歴史はアフリカに始まり、各地に展開したこと、日本人の起源は、大陸から南方または北方経由で移動してきたこと、日本語の起源は南インドの、タミールにありそうなこと、稲作等の技術は大陸からの渡来人と一緒に入ってきたこと、2世紀以降、日本国の起源があると思われること。六世紀以降に漢字と中国の文化が伝わってきて、記紀ほか律令ほかが構築されたこと。七世紀以降の事象は記録が伝えられているが、2世紀から5世紀の間の、いわゆる古墳時代の情報は極端に少ないので、邪馬台国の所在、卑弥呼の背景が定まっていない。


「まぼろしの邪馬台国」もそのような背景で書かれた歴史著作で、邪馬台国が島原近辺という仮説も出てきた。


今日観た、同名の映画は邪馬台国論映画というより、相変わらずだが主役の吉永小百合の映画になっている

2008年11月9日日曜日

294号を行く

294号線は、千葉の柏と福島の会津若松をつなぐ国道だ。 ただし、柏から国道6号と一緒になっているので、実際の294号は茨城県取手から始まる。取手と白河の間は何度か通っているが、会津若松までは今回が初めて。家を出たのが9時15分ころ、船取線から、6号にでて取手に入り294号の案内に従い左折し、しばらくは関東鉄道常総線に沿って北上する。水街道を過ぎるころから、右手に筑波山をみながら関東平野の真ん中を走る。しばらく行くと左手に城がみえるが、これは城をかたどった資料館。天守閣からの眺めは良さそうだ。 下妻物語の舞台となった下妻を過ぎると、最初の休憩地点、下妻道の駅がある。 さらに北上し下館市外を抜けると右手に真岡鉄道が見えてくる。休日にはSLが走るらしいがまだ出会ったことはない。関東鉄道も下館終点なので、時間があれば鉄道の旅も悪くない。しばらく走ると二宮道の駅が見えてくる。イチゴの季節には栃乙女が目に付く。しばらく栃木路を走るが、茨城側では二車線化の工事が進んでいたが、栃木に入ると一車線になり、ドライバーにとっては運転しやすくなる。真岡市内を抜けて、何度か真岡線を抜けて、益子町にはいる。時間があれば陶芸をみることも可能だが、先を急ぐ。道路も里山の中を縫って走る感じで、茂木近くから田舎の道になる。
烏山を過ぎると右側の那珂川に沿って、北上する。途中、屋号をそろえた佐良土地区を抜けてしばらく進むと、黒羽に入る。きになるそば屋があるが通過。しばらく那須町を走り、大きな農家風のそば屋のある道の駅東山道伊王野を過ぎると芦野に入る。 ここには芭蕉の「田一枚植て立去る柳かな」遊行柳がある。他にも、蕪村、西行の句碑もあるそうな。芦野から白河までは、旧陸羽街道沿いに進み、福島の白河に入る。白河市内を進むと、右手に藤駒本店がある。市内を抜けて4号線を左折し、最初の信号を右折して294号は会津若松を目指す。地図で見ると猪苗代湖の南側になるが、この部分には道の駅もない、東北の田舎道。西に傾いた陽を背に、峠を三つ越えて猪苗代湖の西側を走るが、東側とは異なり猪苗代湖は見ることは出来ない。途中、昔の街道の趣を残す、赤津地区を過ぎ、強清水の看板を見ると、49号に出会う。 強清水には何件かのそば屋があるが、そのまま通過、この日のゴール米沢を目指す。49号から県道33経由で121号にでて喜多方ラーメン街を経て、大峠を越えて米沢駅前に17時50分着。 次回は、芦野あたりで一泊してのんびりドライブしてみたい。


翌日は、今回の目的、旅篭町の仁左衛門の会で大いに飲んだ。

2008年10月29日水曜日

本を読む

読書の秋だからではなく、自由時間が一杯あるので、本を読む。 最近の傾向は、学生時代に全く勉強しなかった歴史の本を読み始めた。まずは、歴史を概観し、興味のあるところを読み進めればと思う。最近は、日本の歴史の出発点のあたりを読んでいる。 記紀、日本語の起源あたりから推測できるのは日本のルーツは大陸にあるということ。 稲作に始まりほとんどの文化のルーツは大陸からの移転によるものと思われる。 が、日本の記録が極端に少ないためにいろいろな仮説が並列する。典型的なものは邪馬台国。中国の記録にある、「倭」、「邪馬台国」は、日本には記録されていない、等、空想・仮説の百家争鳴を作り出している。 現時点の私の概観は、


① 人類の起源は、数十万年前のアフリカ、これはミトコンドリアDNAの研究から。アフリカで生まれた人類が、いろいろな経路を使って各大陸に分散して行った
② 日本に入ってきた最初の記録は、縄文時代。経路は大陸から海路。
③ 日本語の起源は、弥生文化が始まった時期、タミール語の流れが入ってきたと思われる。 同時に、大陸からの技術と人との往来が始まり、弥生時代から、古墳時代へつながっている。この間、中国との何らかの交流が、中国側の記録に残されている。
④ 神話時代、記紀に記述されている神話時代の物語は、大陸からの武器を持った渡来人の行動に起因するものでは。
⑤ 古墳時代からその後の天平時代に権力を握った系列には、かなり大陸の血が混じっていると思われる。 遣隋使等の中国との交流には、渡来人の力は不可欠。
⑥ 8世紀以降の、日本の文化は、ルーツは大陸。
以上より、これから記録のない分野で、百家争鳴にプラス1になるのも面白いのでは

2008年10月25日土曜日

芋煮を作った

芋煮を作った。 それも二週続けて。 レシピーは山形の芋煮会のレシピーを参考にして、
サトイモ 1㌔
牛肉  500㌘
蒟蒻  500㌘
舞茸等適量
ねぎ 4本
酒、砂糖、しょうゆ、みりん
①まず、出汁をとる
②大鍋で、牛肉に酒、砂糖、しょうゆで、炊く
③牛肉を取り出して、出汁を加え、サトイモを煮る
④沸騰したところで、アクを取った蒟蒻を入れる
⑤酒、砂糖、しょうゆで味をつけ、サトイモがやわらかくなったところで、
 舞茸、牛肉を加え、味を調える
⑥最後に、ねぎを加え、一煮立ちして完成


料理教室の成果が好きなものを作るようになったことと、当面の目標が見えてきたこと。 それは、日本酒のつまみを作ること。つまみは何かから初めて、つまみをもる皿もつくるを、三年後の目標としたい。

2008年10月5日日曜日

「おくりびと」を観た。

「おくりびと」を観た。 前夜、旅篭町のカウンターで飲んでいたときに、「おくりびと」の撮影地、酒田と月山・鳥海山の話題がでたことから。「おくりびと」は、モントリオール国際映画祭でグランプリを取ったこととテーマについて知識があった程度で、特に観賞の予定はなかった。 翌日、蔵王での宴会までたっぷり時間があったので、最近山形の郊外にできた複合映画館村に行き、9時半からのF-13シートに。映画は酒田と庄内の光景を背景に、豪華な役者・スタッフで丁寧に作られたもので、背景の月山、鳥海山も背景としてしっくりと舞台を支えている。舞台のひとつ、古いスナックの店の光景と三角のテーブルがなかなか魅力的で、日本海の魚をつまみに上喜元など傾けたら最高かも。 


夕方は、蔵王ペンション村の”ペンションあっぷる”でワインと十四代の飲み放題に近い29人の大宴会。

2008年9月22日月曜日

日本酒のルーツ


松尾大社のことを知ったのは最近のこと。 日本酒の醸造の神様として祭られているとのこと。 神戸に行く機会があったので、阪急神戸線、京都線、嵐山線を乗り継いで松尾駅下車、松尾大社に詣でた。駅前の大鳥居を抜けて境内に入ると、左手に酒造の神様として全国の酒造蔵から奉納された酒樽(神輿蔵)が並んでいる。松尾大社は701年(大宝元年)に、渡来人の秦忌寸都理(はたのいみきとり)が造営したのだが、この秦氏が後年に酒造りの技術を展開し、日本酒作りも持ち込んだことから日本酒の神様として信仰されるようになったとのこと。境内には試飲はできないが日本酒資料館もある。 

帰りは阪急嵐山線の終点、嵐山にでて渡月橋をわたり、京福電鉄嵐山線で四条大宮にでて、阪急京都線で三ノ宮、阪神神戸線で御影にいった。阪神御影駅の高架のしたに、灘の酒造りの原点ともいえる、「沢の井」の湧き水があり、周辺の灘五郷の酒蔵の仕込み水と同じ水系になっている。 ここまでくると、近くの酒蔵の試飲をということで、白鶴と菊正宗の資料館に立ち寄り、白鶴で一杯、菊正宗で四杯、いづれも市販していない旨い酒を味わった。 一帯は蔵元というより工場地帯のイメージで、それもそのはず、30万石を越える生産高の蔵元が軒を連ねているのだから。(灘五郷だけで、全国の日本酒の30%近い生産高)。

宿に戻り、灘の酒を楽しもうと立ち寄った近くの居酒屋では、地酒と称して地元の酒ではなく、県外の酒がならんでおり、安い日本酒に試飲したものとは二階級ほどちがう菊正宗が。 

2008年9月15日月曜日

クラムチャウダーを作った

まだ残暑厳しいにもかかわらず、衝動的にクラムチャウダーが食べたくなった。 料理教室では習っていないが、インターネットでレシピーを探し、ニューイングランド クラムチャウダーを作った。 レシピーはいくつもあり、それぞれのレシピーは内容、手順同じものはなかった。 考えてみればクラムチャウダーって数少ないおいしい米国料理、つまり田舎料理なので、作り方は作る人の数だけあるのかもしれない。 そう考えれば気がらくだ。材料は、Clam、二枚貝ということで、アサリ、ハマグリ等食用の二枚貝と、たまねぎ、じゃがいも、ベーコン、セロリ、にんじん、パセリを使い、バター、白ワイン、生クリーム、牛乳、塩、胡椒を適量。 レシピーは
①アサリをバター、白ワインで蒸し、アサリとスープを分けておく
②たまねぎ、にんじん、セロリーをみじん切りにして、バターで炒める 人によっては、水で煮ることも可能、水の代わりに白ワインも
③ベーコンを炒め、ベーコンの油で、適当に刻んだジャガイモを炒め
④ ②に生クリームを加え、暖める
⑤小麦粉を牛乳で溶いたものを④に加える煮る
⑥アサリとスープを加え、塩、胡椒で味を調え
⑦パセリを加え、常温で数時間置く
⑧食べる前に、⑦を暖めボールにパセリを散らし完成それぞれの量は、適量でバター、生クリーム、牛乳ベースなので大きく外れることはなさそうで、楽しめた。 次回はハマグリで試してみたい。

2008年9月8日月曜日

日光を歩く。


第9回日光ツーデイウォーキングに参加した。日光は何度か行っているが、車で行き東照宮を見る程度だったが、二日間にわたり各20㌔を歩き、日光の奥行きを体験できた。初日は昼近くに浅草から一時間に一本の区間快速で二時間30分ほどで、東武日光へ。小腹が空いたのでそば屋を探しながら東照宮方面へ。なぜか途中のそば屋の「休み」を見ながらようやく一軒のそば屋に入る。日光のそば屋の目玉が、「ゆば(湯波)そば」ということで、ゆばそばを頼む。出てきたのが三つの巻きゆばが載ったそばが。一つの巻きゆばは、ぜんまいを巻いてある。巻きゆばは量感がありゆばの味が楽しめる。ぜんまい巻きゆばもおいしい。そばは一寸甘めのつゆだが、これはこれでおいしい。が、ゆばとそばの組み合わせが一つ腑に落ちない印象だ。 ゆばはゆば、そばはそば、日光でしか味わえない、 ”名物”かもしれない。ウォーキングは宿から5分の日光総合会館をスタート/ゴール地点から、6日は有形文化財の稲荷川第三堰提経由、世界遺産コースを清滝まで行き、大谷川沿いにゴールまで。 7日は大谷川を下今市まで下り、雷鳴井轟く中傘を差しながら、杉並木・大谷川公園を抜けゴールへ。ゴール後に接待された「トン汁」が汗でびっしょりになった身にしみておいしかった。

2008年8月27日水曜日

文春9月号を買った。 続き

文春9月号を買った。 動機は最新の芥川賞受賞作家、楊逸さんの作品を読むためだったが、戸塚洋二さんの記事に出会うことができた。 戸塚さんは、スーパーカミオカンデで、ニュートリノの質量を観測して次のノーベル賞候補といわれたひとだが、先月、7月10日に大腸がんのため亡くなられた。 その亡くなられた日に発売された文春8月号に戸塚さんと立花隆氏の対談が特集されており、9月号の特集になったものと思われる。
記事の中身は、戸塚さんが大腸がんが発見され治療を続ける中、いくつかの転移により、余命19月を宣告された後、2007年8月から記し始め、死の直前、7月02日までのブログの紹介と、7月02日から10日までの奥様のブログの補足だ。 ブログはこれです。


http://fewmonths.exblog.jp/


スーパーカミオカンデは、現役時代に仕事のなかのトランザクションとして何度か出会ったことがあり、さらに小柴昌俊さんのノーベル賞受賞で知っていたので一度見に行きたいと思っていたところですが、8年の闘病生活にもかかわらず、ブログを通じて、厳しい体験を次の人に伝えるために頑張ったことが手に取るようにわかります。 救いは、脳への転移があったにもかかわらず、最後まで意識を失わず、家族に見守られ亡くなられたことです。 文春9月号には、「日本の師弟89人」特集があり、小柴昌俊さんが師として戸塚さんの死を悼む言葉を残しています。

文春9月号を買った

文春9月号を買った。 動機は最新の芥川賞受賞作家、楊逸さんの、「時が滲む朝」を読むためだ。 目次を見て、9月号にはほかにもよい記事のあることに気がついた。 まづは「時が滲む朝」を読んだ。 中国人が日本に来て、日本語ほかを学んで書いた作品ということで話題になったが、作品から日本語を一生懸命に使おうという思いが伝わってきた。何人かの選考委員の作家からは文章力に対していくつかの厳しいコメントもあるが、芥川賞は完成された作家をたたえるのではなく、その可能性を評価するというものであれば、楽しみな作家の作品と思う。最近、北京オリンピックで背伸びした中国の一辺をTVを通じてみたが、実際の中国の広さと深さと、巣ペクトラムの巾を理解することは難しい。 楊逸さんの中国体験に基づく、日本語によるこれからの作品が楽しみだ。 横綱二人がモンゴルから出ている時代、アジアから毎年芥川作家クラスがでても不思議ではないし、それでないとなかなか中国の奥行きと行間を知ることは難しいのではと思う。

2008年7月28日月曜日


豪華絢爛。 日本酒好きには垂涎のラインアップが尾瀬に集合。
左から、

☆ くどき上手

☆ 上喜元

☆ 仁左衛門

☆ 十四代

☆ 雅山流

処は尾瀬沼湖畔
一晩で一滴残さず堪能
次回は、庄内のお酒を脇役にし、羽黒に集う予定

2008年7月1日火曜日

久しぶりに裏山に登った。


久しぶりに裏山に登った。 自由時間が増えたので、天気予報を確認して行動できる。 ペットボトル二本とパンとパウンドケーキを持ち、9時15分に小屋を出て、近くの上り口から登り始めた。 久しぶりの登山で、鉄塔までの最初の一時間がきつかった。 10時22分に鉄塔に着き、10分休憩。苗場山や苗場スキー場がよく見える。 次は松手山まで、30分ほどだが、途中から平標山への稜線が、さらにその奥の仙ノ倉が。松手山からは心地よい涼風のなか稜線沿いを登り、12時32分、平標山頂に着く。途中お花畑もあったが、気のせいか花の種類と数が減っているような印象だった。今回は帰ってから車を運転する可能性があったので、缶ビールは持参しなかったが、戻って一風呂浴びてからの楽しみにと思いつつ、山頂で40分過ごす。 平日だったが山中で出会った人は二十人ほど。下りは平標山の家経由のコース。 整備された木道をゆっくり下り、13時47分、新しい山小屋到着。 一度泊まってみたいと思っているが今回もパス。小屋の前で10分ほど休憩し、平元新道を下り、岩魚沢林道へ14時30分、入り口の石に腰掛け、5分休憩。林の中の気持ちよい岩魚沢林道をのんびり歩き、小屋に15時30分到着。 近くの温泉へ行くのをやめて、小屋のシャワーを浴びて、500ccの缶ビールで水分補給。 次は苗場山かと天気予報を確認してみたい。

2008年6月26日木曜日

記紀を読んだ。

記紀を読んだ。 というより、オリジナルは漢文なので解説書を読んだ。正確に言うと、オリジナルの写本の解説書だ。 どちらも、日本の古典の代表となる書という風に、理解していたが、これまで義務教育で中身に関して解説を聞いたことがなかった。 が、今度解説書と読んで、中身について義務教育で解説するほどの内容はないことを理解した。 古事記は、712年、日本書紀は720年に作成された言うことだが、どちらも天武天皇の時代ということで、時期的には7 世紀に大陸から中国、インドの文化が伝播され、定着したころのことだ。 それまでは独自の文字も不明瞭で、歴史書の類もなかったところで、大陸からの文化に影響されてのことと思う。内容は、当時の権力者の権威付け以外の何物でもないもので、記紀のいづれも神話から説き起こし、当時の権力者の系統を記録したもの。どちらも主な物語は、子孫を残すことと、敵を倒すことの繰り返しだ。 おなじころ、大陸で著された文献の種類の多さと、内容の豊富さは目を見張るものがある。 先日、鑑賞した薬師寺の日光菩薩・月光菩薩も同じころに大陸からの技術と技術者により作られたものだ。

2008年6月22日日曜日

芥川賞全集第五巻から

芥川賞全集第五巻から、松本清張 「或る「小倉日記」伝」、吉行淳之介 「驟雨」、近藤啓太郎 「海人船」、開高健 「裸の王様」、安岡章太郎 「悪い仲間」、「陰気な楽しみ」、庄野潤三 「プールサイド小景」、小島信夫 「アメリカンスクール」を読んだ。 といっても一気に読んだわけでなく、散発的な読み方だが。 これらは昭和27年から、32年にかけての受賞作である。 この期間には、他に五味康祐 「喪神」、遠藤周作 「白い人」、菊村到 「硫黄島」もあるがなぜか数ページをパラパラとめくっただけで、今回はパス。 「プールサイド小景」は作者と題名からは信じられない物語が淡々と描かれており、「アメリカンスクール」は時代の背景を考えなければ時代錯誤の喜劇とも取られる登場人物と光景があった。 「驟雨」は戦後の光景と作者の健康状態が題名につながっているのか、あたりまえだがこの時代の作者は大正生まれが主で、石原慎太郎、開高健、大江健三郎から昭和生まれが中心になってくるが、そういう時代で、戦後生まれには理解できない経験を有している人たちの作品といえる。

2008年6月19日木曜日

駒の湯

駒の湯は幾つかある。 越後駒ケ岳、会津駒ケ岳、木曽駒が岳の麓にもあるが、今回の岩手・宮城内陸大地震で被害にあったのは、栗駒山の麓の駒の湯。何十年か前、上野発東北線の夜行で早朝石越で降りて、栗駒鉄道で栗駒駅で下車、バスで駒の湯まで行き雨の中を栗駒山に登ったことがある。 夜行で行ったので、駒の湯には泊まらなかったけど今回の地震で次に泊まれる機会は見えない。 駒の湯の南西にある湯の倉温泉も、今回の地震の被害を受けており、いつ再開の目途はまったくたっていない。湯の倉温泉は温湯温泉近くの駐車場から数十分歩いて行く山の中の温泉で新緑か紅葉のころ行きたいと思っていた温泉だ。残り時間と行動の選択肢が徐々に少なくなっていくというのはなんともいえない思いである。

2008年6月12日木曜日

石原慎太郎 「太陽の季節」、丸山健二 「夏の流れ」を読んだ。

石原慎太郎 「太陽の季節」、丸山健二 「夏の流れ」を読んだ。 どちらも23歳での芥川賞受賞だ。 23歳での受賞者は、他に大江健三郎がいる。大江健三郎についてはじっくり読み直してみたいと思う。 「太陽の季節」の読後感は、うらやましいというか同じ大学生でもこんなに恵まれているのかと感心した覚えがあるが、それはあまり変わっていない。 大学生のころからヨットやナイトクラブへの出入り等、住んでいる世界が違う思いだったが。 「夏の流れ」は期せずして、凶悪事件の直後に読むことになったが、23歳でよく書けたものと、こちらは別の意味で感心した。「太陽の季節」には物語のエッセンスのような経験が背景にあることは容易に想像できるが、「夏の流れ」ではそれは想像できない物語だ。

2008年6月11日水曜日

芥川賞を読み続けている。

芥川賞を読み続けている。 最近の辻原登、吉田修一に始まり、古井由吉から昭和二十年代の作品を読み直し始めている。 芥川賞で面白いのは、それぞれの受賞作の面白さもさることながら、選考委員の選考コメントを読むのがなかなか面白い。 選考委員は大御所と思われる作家が担当しているが、彼らの個性も好みも一律ではなく、ある委員に言わせると、「人生派」と「唯美派」に大きく分かれるそうだ。唯美派には川端康成、井上靖、舟橋聖一氏が該当するそうな。 なぜか読んだことのない、舟橋聖一さんのコメントが違和感がない。 是非、芥川賞は芥川賞全集を読まれることをお勧めしたい。 今週は芥川賞全集五巻に時間を割きたいと思う。 五巻には石原慎太郎、大江健三郎、吉行淳之介、安岡章太郎、遠藤周作、開高健他そうそうたる作家の作品が集まっている。

2008年6月10日火曜日

津村節子 「玩具」、高井有一 「北の河」、柏原平三 「徳山道助の帰郷」 を続けて読んだ。

津村節子「玩具」、高井有一「北の河」、柏原平三「徳山道助の帰郷」 を続けて読んだ。 それぞれ物語は違うが、共通点として個人的な経験をベースに書いていることかなと思う。 作家の経歴を見るとそれぞれの物語に関係がありそうな事象が見える。 もちろん体験したことをそのまま書いているわけではないだろうが、「玩具」は夫婦の、「北の河」は母子の、「徳山道助の帰郷」は祖父と一族をテーマに書いている。 三人は昭和40年から42年にかけて芥川賞を受賞したのだが、そのころは大学に入ったころで、何をしていたのだろうか?

2008年6月8日日曜日

柴田 翔 「されどわれらが日々ーー」を読んだ。

柴田 翔 「されどわれらが日々ーー」を読んだ。 午前中に、10㌔ほどウォーキングし、昼食後、一気に読んだ。 題名を記憶しているほどに内容は覚えていなかったが、読み進むうちに構図を思い出した。 六全協前後を舞台装置に、二人の死と、その背後の幾つかの別れと出会い。 主人公がH全集を手にすることから物語が始まるが、H全集って? 誰のだろうと思ったが、序の言葉が堀口大学訳の文章ということから可能性として堀口大学全集か? 作品が書かれた時代背景は、六全協から1955年前後と思われるが、この時代はまだ小学校入学前後なので、一寸分からないが、「されどわれらが日々ーー」 それぞれの時代に、”それぞれの日々”はあった。

藤沢周平 「三屋清左衛門 残日録」を読んだ。

藤沢周平 「三屋清左衛門 残日録」を読んだ。 久しぶりの藤沢周平の三屋清左衛門、状況は似たようなものか。15編の物語の背景には藩主交代と、執政職交代があり、旧友との出会い・別離ほか。 現役で活躍できる力がありながら一線を退き、それでも時々請われて影響力を行使する残日録。見習いたいものである。

2008年6月6日金曜日

塩原・尾瀬を歩く


第2回塩原温泉ウオーキングフェスティバルに参加して、新緑の中、塩原・尾瀬を堪能した。 例年より早い梅雨入り直後の初日は雨の中、箱の森プレイパークに集合し、大沼コース(7㌔)と、温泉街の5㌔、10㌔と15㌔コースに別れ塩原の新緑を一身に浴びながらウォーキング。 私は大沼コースに参加し、バスで塩原温泉新湯へ行き、大沼往復。 二日目は今回の目玉の尾瀬コースへ。朝食後、七時過ぎの三号車に乗車し御池経由沼山峠へ。事前に今年の尾瀬は残雪が多く尾瀬沼一周は出来ないとのことだったが、沼山峠から歩き始めると直ぐに残雪が出迎えてくれた。峠を越えて大江湿原に出ると水芭蕉の出迎えを受け長蔵小屋まで木道ウォーク。燧ヶ岳は雲の中だったが、久しぶりの尾瀬を堪能。次回は尾瀬一周ウォークに。

2008年6月1日日曜日

古井由吉氏の、「杳子」を読んだ。

古井由吉氏の、「杳子」を読んだ。 「杳子」で芥川賞を受賞した直後に読んで以来だからかなり時間が経過しているが、最近の芥川賞受賞作家の作品を読み久しぶりに読みたくなった。 「杳子」で印象に残っているのは最初の、K岳からのO沢へのくだりでの出会いから始まり最後まで続く、「杳子」の奥行きも左右つかみ所のない、曖昧で微妙な印象。 K岳は勝手に、甲武信ヶ岳、O沢は稜線を北に下る西沢ではと勝手に脚色したが、「杳子」については当時の少ない語彙では形容する言葉がなく、「杳子」という名前が全てをあらわしているように思っていた。 作者が、「杳子」とした理由がそこにあると思う。 「杳子」。

2008年5月30日金曜日

辻原登 短編集を読んだ。

辻原登 短編集、「枯葉の中の青い炎」と「夢からの手紙」を読んだ。「枯葉の中の青い炎」には「ちょいと歪んだ私のブローチ」、「水いらず」、「日付のある物語」、「ザーサイの甕」、ほか二編。「夢からの手紙」には、時代物六篇。最初に読んだ「翔べ麒麟」からの期待値に対して肩透かしを食らった感じだ。 二つの短編集に登場する人物との距離感が印象を希薄にしているのではと思う。 久しぶりに、古井由吉の「杳子」を読んで見たいと思う。

2008年5月28日水曜日

辻原登 「村の名前」 他を読んだ。

辻原登 「村の名前」 他を読んだ。 「村の名前」は芥川賞を取った作品で、もう一つの「犬にかけて」は受賞作の前の作品だ。 「村の名前」は、中国の桃源郷を思わせる村での出来事を、暑さと、雑然とした異郷での油っこい食事と、異国の言葉・雑音の中で描いたもの。 筋は畳表の商談だが登場する人物は役柄不明なつかみ所のない人物ばかり。 1990時点での中国の奥地のイメージを描いたものか。 現在の中国は四川大地震で観光旅行どころではないが、いずれ訪れてみたい処である。 それも北京、上海等の都会ではなく、「村の名前」に登場するような奥地の桃源郷へ。

2008年5月27日火曜日

吉田修一 「初恋温泉」を読んだ。


吉田修一 「初恋温泉」を読んだ。 熱海、青荷、京都、那須、黒川温泉を舞台にした五つの短編集だ。 それぞれの背景を持った男女の物語で、五つの物語に連続性、共通性はない。 それぞれの物語。 それぞれの温泉地は作者のそれぞれの記憶に残る温泉地か。 この中で青荷温泉の離れは昔、季節は違うが泊まった事がある。 それも小説と同じ、十方堂。食事はランプの大広間で膳の幅に隙間なく客が座るので普通の温泉宿とは異なる食事光景で、酒を楽しむ余裕はなかったが、そこは山奥の宿、それも宿の特徴だった。五つの中ではまだ行ったことのない黒川温泉に、新緑か紅葉または雪の季節にあまり物語のネタを持ち込まず行きたいと思う。

2008年5月23日金曜日

辻原登 「発熱」を読んだ。

辻原登 「発熱」を読んだ。 「発熱」が解かれるのは、最終局面で、庄内の三瀬での光景。 それまでの物語は荒削りな大道具と、なぜか説明不足と思える、右近、左近、綾、龍 他の登場人物。 「翔べ、麒麟」、「花はさくらぎ」 と、辻原登氏の作品を続けて読んだが、いずれも一気に読了してしまう内容である。 次は何を読もうか、楽しみである。

2008年5月20日火曜日

日本酒学校

日本酒学校八期生四回目の研修に参加した。今回は酒田の麓井酒造と楯の川酒造をたずねた。 研修の前後に予習と復習を兼ねて山形市内で山形の新酒を堪能。 なんと三日間で16時間ほど研修したことになったが新緑の中、鳥海山、月山、葉山、朝日連峰、蔵王、吾妻をに囲まれた環境のせいか二日酔いはなく、長時間の研修による心地よい疲れだけが残った。山形の酒蔵は53あるが生産高、500石から1000石の蔵が多く、関東地方では飲む機会が少ないが入手しやすい酒に比べ記憶に残る旨さを持っている。

2008年5月10日土曜日

吉田修一 「パーク・ライフ」を読んだ。 

吉田修一 「パーク・ライフ」を読んだ。 きっかけはラジオ深夜便で、著者のインタビューの中で、「パーク・ライフ」の一節が紹介され、これが芥川賞を取ったということを聞いたこと。 地下鉄での出会いと日比谷公園での再開から写真展で、彼女がつぶやく、「よし 決めた」というせりふまでの心象が、特に大きなストーリがあるわけでもなく綴られている。 久しぶりに芥川賞受賞作を読んだが、読後感から昔読んだ古井由吉の「杳子」をもう一度読み直したいと思った。

2008年5月9日金曜日

辻原登 「花はさくら木」を読んだ。

辻原登 「花はさくら木」を読んだ。 時は十八世紀、ところは京。 田沼意次と、後の後桜町天皇(智子)を軸に、やはり歴史の行間を青井三保、菊姫を配し、背景のように蕪村らを配して、物語を作る。 先の、「翔べ麒麟」に似た面白さを持つ読み物だ。 昔、習った歴史では田沼意次は改革を行ったが、一方で賄賂等により失脚した悪役としてのイメージがあったが、「花はさくら木」では、「ひとは武士」として描いており、このへんが大きなモチーフか。 歴史というのは記録されたものがベースになるが、どのような状況で記録されたものかで見方が大きく変わるものであることをこの物語は示している。 辻原登が芥川賞作家というのは一面の事実であるように。

映画 「相棒」を観た。

映画 「相棒」を観た。 TVの連続ドラマで欠かさず見ていたので、劇場版は楽しみにしていた。 主要な登場人物はTVと同じで、TVと同じ背景が使われており、違和感のない映画である。 すじは劇場版に大きく作られており「相棒」ファンは一見の映画。 劇場版では脇役だが、本仮屋ユイカがでており、相変わらずの輝きを放っている。 本仮屋ユイカの最初は、スイングガールズでトランペットの脇役のときから輝いていた印象が強いのでこれからが楽しみな女優の一人だ。 いい作品に恵まれることを期待したい。

2008年5月6日火曜日

武蔵野を歩く


第十三回東京スリーデイマーチに参加し武蔵野を歩いた。小金井公園を拠点に吉祥寺から国立の間の、緑と水の豊かなコース、武蔵野を楽しんだ。三つのコースに一万二千人を越える参加者が思い思いのペース、普通の散歩ではなくウォーキングのペースで歩く。背に参加者の出身地とメッセージを記入したゼッケンをつけてあるく。北は釧路南は沖縄、ウォーキング大会三回目だが、常連のゼッケンも多く確認できる。今回は、南房総で同宿の方にも再会できた。天気は初日は雨で、受付に30分以上費やしたが、二日半は曇りのウォーキング天気。季節は初夏の緑のきれいな時期で、井の頭公園、野川、深大寺、玉川上水沿いのコースは一万人を越えるウォーカーにとっては人気のコース。来年も多分参加すると思う。

2008年4月28日月曜日

辻原登 「翔べ麒麟」を読んだ

辻原登 「翔べ麒麟」を読んだ。 きっかけはラジオ深夜便で辻原登のインタビューを聞いたことと、「翔べ麒麟」を知ったこと。歴史上に記録された事実と、事実と事実の間の膨大な空間を創作し読み物にするという物語。阿部仲麻呂(朝衡)という遣唐使として唐に行き、唐の騒乱の時代を72歳まで生き抜いた人物を軸に、記録にない行間を豊かな創作力で紡いで唐の時代を生き生きと蘇らせてくれる。広大な大地と悠久な時間軸と、多くの登場人物を配することが可能にしているのは時代を記述した記録・文学の質・量のすごさと思う。中国三千年の歴史の重みが背景にあると思う。
玄宋皇帝、楊貴妃、楊国忠、安禄山、藤原清河、吉備真備、大伴古麻呂、王維、杜甫、李白、ほか歴史に名を残す人々の間に藤原真幸、李茉莉、李春、劉小秋、ほか、歴史の行間で活躍したであろう魅力ある人物と、正倉院に残る、金銀平文琴と、「あまのはら ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも」。

2008年4月21日月曜日

三春の瀧桜


三春の瀧桜を見た。 満開の前日、前日からの全国的な雨の中、初めてみたがなかなかの桜だ。 郡山から三春へ向かう途中の桜も満開、三春の街中には、訪問者を意識した街づくりが行われており、この季節にはさらにしだれ桜が道筋にひときわ目立つ。 瀧桜の近くには不動桜もあり、こちらは小高い不動堂の脇に咲く桜で、時代劇の場面に使われそうな光景だ。 瀧桜の周りは歩道が整備されており、 360°から眺めることが出来るようになっている。周辺の道路にも見事な桜並木があり、時間のたつのを忘れそうだ。 三春街中に、「デコ屋敷」という案内があり、案内に従って進むと、そこは農家の中、三春駒の看板がならぶみやげ物屋が並ぶ高柴地区。その一つに入ると、三春駒という名は三春町が勝手につけた名前で、もともとは高柴木馬が元祖とのこと。せっかくの機会なので、一つ千円の三春駒を購入。

2008年4月14日月曜日

城山三郎 「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。

城山三郎 「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。 タイトルだけで状況が手に取るように見えると思えたが、内容は偶然の出会いから妻の死までの約半世紀の幾つかのシーンを綴ったもので、そのあとの状況に関しては、タイトルのみが全てというものだ。 本書は、この状況から七年後の作者の死の直前に書かれたおのだそうで、本になったのは死後のこと。ぽっくり空いた空洞の大きさがこの本の全て。

2008年4月13日日曜日

吉高の大桜


吉高の大桜を見に行った。 吉高というのは千葉県印旛村の地名で、農村の地名で、そこの須藤家の敷地に咲く、樹齢300年の大桜だ。 インターネットの見ごろのニュースにひかれて、印旛村中央公園の臨時駐車場に車を止め、30分で吉高の大桜へ向かう人の波にのり、大桜へ。 ねぎ畑のなか、菜の花を前傾に見事な枝振りの桜だ。 長年、千葉県民のはずだったが、車で一時間弱の大桜を知ったのもつい最近のこと。 桜を一周しながら、まだまだ千葉にも良いところがあるにもかかわらず、知られていないというのは良いものを守る知恵かもしれない。

2008年4月11日金曜日

諸葛孔明を読んだ。

諸葛孔明を読んだ。 陳舜臣の本である。 吉川栄治の三国志は読んでいたが、諸葛亮に焦点を置いたのが本書である。 三国志もそうだったが感心するのは中国の奥の深さだ。 後漢末期から三国時代、二世紀から三世紀にこのような物語の原典が記録されていること。読んだといっても登場人物、出てくる地名を全部読みきれているわけではない。特に地名は略図に載っていないので、距離感が見えない。人名は文脈の中で主役・脇役・その他の違いが分かればよい。魏・蜀・呉の間の争い、簡単な略図しかないので、大遠征の大変さが把握できない。中国大陸を、揚子江の南北をいとも簡単に移動し戦う。 戦略・兵站・交渉、この時代でも三国間の通信システムは出来ていたようで、敵・味方間で書簡の往信が出来ており、主要な街道もあり、それぞれの領地の地図もあり、また南方、西方の国々とも往来があり、人の行き来がある。中国には一度しか、北京の周辺、行っていないけど、探索するには魅力的な地域である。 問題は想像以上に、マスコミで伝えられている以上に、一杯あるようだが。

2008年4月4日金曜日

藤沢周平全集第十八巻を読んだ

藤沢周平全集第十八巻を読んだ。 十八巻は「よろずや平四郎活人剣」シリーズ24編。 用心棒シリーズの時代背景は元禄だったが、活人剣シリーズは、天保の改革の時代、老中水野忠邦や鳥居耀蔵が権力を握っていた時代と同じ江戸時代でも大分状況は異なるところ。主人公は「よろずもめごと仲裁」業の神名平四郎、旗本の息子ではあるが、末弟という身分。一人暮らしの裏店で、よろずもめごと仲裁業のもめごとを軸に長兄の手伝いをしながら道場を造り身を固めるまでのものがたり。 用心棒シリーズと異なり登場人物は善良な市民と小悪人。許婚、早苗との場面はすくなく、さっぱりした筋書きだが、藤沢周平の描く平四郎や北見、明石の人物像が良く描けており、一気に読んだしまった。 また水野忠邦、鳥居耀蔵、遠山影元の名前から、天保時代の断面も見ることが出来たのは収穫。さて、次は、全集の第19巻か。

2008年3月31日月曜日

渡良瀬遊水地を歩いた


渡良瀬遊水地周辺を歩いた。 第9回古河まくらがの里・花桃ウオークに参加し、初日は古河市内中心の、二日目は渡良瀬遊水地周辺を歩く、各々20㌔のコース。 前日、アスレチックで汗を流したあと、カタクリ満開のニュースに誘われ、佐野市のみかも山公園経由で古河市へ。みかも山へ向かう途中、東北道走行中にシャワーのような雨が降ったが、公園についたころはほぼ上がった状況で、公園の中を散策。 ここでも一汗かき、かたくりを観察し、古河市の宿へ。翌日、古河総合公園での開会式後、9時半スタート。渡良瀬川の左岸を下流にしばらくあるき、日光街道・古河市内を北上、野木神社から渡良瀬乗馬クラブを抜けて、再度、渡良瀬川左岸経由で、古河市内へ。古河歴史博物館、長谷神社を経て、フラダンス真っ最中の総合公園へ。 13時20分、20㌔を四時間弱、昼食時間、10分。 
二日目は午後から雨の天気予報のなか、渡良瀬遊水地周辺のウォーキング、渡良瀬地区は何度か車で通り過ぎるだけだったが、初めて遊水地を見ながら歩くことができた。 周辺はサイクリングロードが整備されており気持ちの良い地域だ。三国橋を右岸に渡り、中央エントランスから渡良瀬遊水地のサイクリングロードを時計回りに、180度周遊。12時を過ぎるころから風が強くなり、同時に気温も下がり始め、13時45分にゴールしたころはふた汗かいた長袖シャツでは寒い状況。 ゴールイン後、速やかに駐車場に向かい、汗でぬれたシャツを交換し、一路、自宅を目指したが・・・・・・

2008年3月25日火曜日

「蝉しぐれ」を読んだ


藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んだ。 「風の果て」に続く長編で、初めて海坂藩が登場した。道場、塾に学ぶ牧又四郎、小和田逸平、野崎与之介の友情を軸に、藩の派閥騒動の中に巻き込まれていく物語。幼馴染のふくとの短い交情、矢田作之丞の未亡人、秘剣村雨や道場に集う剣士。人物描写が良く、悪役まで登場人物が目の前にいるような思いに捉われる。矢田の未亡人はもう少し登場場面を増やせたのではと思うほど、あっさり舞台から姿を消した。すでに映画にもなり、連続TVでも放映されていることを知り、改めて映画やTVを見てみたいと思う。

水郡線から奥羽線


水郡線から奥羽線のローカル線に乗った。 松戸から水戸まで常磐線、水戸から郡山まで水郡線、郡山から福島まで東北線、福島から米沢まで奥羽線。 水郡線と奥羽線のダイヤが限られており、通してのる選択肢は一つ。 自宅を、六時半にでて、三両編成(常陸大子で一両切り離し)水戸発九時23分郡山行きにのる。片側づつ四人と二人の対面式で窓側は埋まっており、通路側の後ろ向きに座り、春の陽気のなか出発。しばらく民家の間を走り、常陸大宮を過ぎるころから里山の間になり、山方宿あたりから久慈川沿いに進む。 袋田で何人か降り、窓側に写る。しばらく久慈川とともに進み、矢祭山から福島にはいり、東館あたりから田園風景の中を進み、磐城棚倉、磐城淺川、泉郷を経て安積永盛で東北線に入り、12時33分に郡山着。そのまま、福島行きに乗ると、福島着、13時 28分着で、奥羽線の米沢行きが15時56分まで待ち時間があるので、二本松で途中下車。二本松は、昔、二度降りたことがある駅だが、そのころの駅前の面影は全くなく、関東地方の郊外の新駅の雰囲気。 まずは表通りを散策するが目当ての蕎麦屋はなく、和菓子屋の多いのが目に付く。しばらく北に向かったが一筋下ったところに蕎麦屋ののぼりを発見、表通り一巡り後に立ち寄る。店の前の「桜蕎麦」を眼にし、店の中へ。閑散とした表通りの割には、店の中には何組かの客が。 二本松は奥の松酒造(大七もある)あるので、吟醸酒と鰊の甘露煮を頼み、時間を潰す。 列車の時間を確認し、季節限定の桜蕎麦(二本松はまだ開花していないが)を頼む。 そばは気持ち、桜色、味は普通の蕎麦で、客が耐えない店である。二本松から福島へ行き、一時間近く、ホームをぶらぶらし、二両編成の奥羽線(JRでは奥羽新幹線と称しているが)へ乗車。福島を出て山の中に入ると線路の両側にはまだ残雪が、板谷、峠、から夕闇始まる米沢盆地へ到着、334.8㌔、10時間半の旅、一段落。

2008年3月20日木曜日

藤沢周平 「風の果て」を読んだ

藤沢周平の「風の果て」を読んだ。 蝉しぐれを読もうとして、図書館で全集を借り、「風の果て」から読んだ。 読む前は短編集かと思ったが、藤沢周平の最初の長編になった。 物語は、筆頭家老の桑山又左衛門への野瀬市之丞からの果たし状が届く場面から始まり、その昔、片岡道場に集った五人の若侍の交流から果たし状が届くまでの一つの大河ドラマである。何人か女性は出てくるがあくまで脇役としてである。五人の若者の出仕は、一千石の上士から50石の下士。背景には徳川時代の藩と農民の置かれた厳しい状況があり、その中での時代の波にもまれながら、勝ち残るもの、失脚するもの、憤死するもの、流されるものを描いており、読み応えのある物語だ。 次は、「蝉しぐれ」を読むが、楽しみである。

2008年3月18日火曜日

箕作り弥平商伝記を読んだ

熊谷達也氏の、「箕作り弥平商伝記」を読んだ。熊谷達也氏は最近、新聞を賑わせたが、「はぐれ鷹」、「邂逅の森」に次ぐ三作目である。読み終わるまで、「箕」の何たるかを知らなかったので、その分、一気に読んでしまった。読み終わってから、「箕」を調べ、時代の背景と併せ、物語の構図が理解できたように思う。 時代は、大正時代、関東大震災前後、場所は秋田と関東の「箕作り」を取り巻く物語。「箕作り」業のおかれた状況への言及は弥平の無知ということであまりなく、時代の歪を淡々と記述したのか。最終章は伝記とするにはあっけない終わり方で、この続きを予定してのことかどうかだが、最近の熊谷氏の起こした事が続きの執筆への影響は少なくないのではと思うが。

2008年3月11日火曜日

母べえを読んだ

野上照代さんの「母べえ」を読んだ。映画「母べえ」の原作で、元もとの題は、「父へのレクイエム」。作者が父親の享年を越えたとき1984年の「第五回読売ヒューマンドキュメンタリー」に応募したもの。父親の野上巌氏が思想犯として特高に検束された朝から、巣鴨刑務所で急死するまでの書簡を軸に、父べえ、母べえ、恵美ちゃん、山ちゃん、初べえ、照べえ、奈良のじいさん、他、映画の配役どおりの登場人物が記されている物語。「母べえ」は、父べえが39歳1ヶ月で獄中で急死したところで終わっているが、本ではあとがきに、実際の野上巌氏は昭和32年57歳で亡くなっているとのことを知り、ホットした。それなら、是非、「母べえ」の戦後編を希望したい。それと、恵美ちゃんと山ちゃんのそれからについても。できれば、恵美ちゃん役は、檀れいさんで。

2008年3月10日月曜日

邂逅の森を読んだ


熊谷達也氏の「邂逅の森」を読んだ。時代は、大正から昭和、舞台は秋田内陸縦貫鉄道の通る阿仁近辺から、月山と朝日連峰の間、肘折温泉、鶴岡の町と、何度か行ったことのある場所。登場するのは阿仁マタギと山の中の住民と森の獣。先に読んだ「はぐれ鷹」と異なり、重厚な物語展開に引き込まれて読んでしまう。第四コーナー回ったあたりから、話の展開が急になり最後の邂逅の場へとなだれ込む感じである。真冬に秋田内陸縦貫鉄道でマタギの里を駆け足で通り抜けたことがあるが、改めて「邂逅の森」を訪ねてみたいと思う。

2008年3月3日月曜日

はぐれ鷹を読んだ

熊谷達也氏の「はぐれ鷹」を読んだ。 舞台は月山山麓、鷹匠を志す青年と角鷹(熊鷹)の物語。 ぞっとする導入部から、非現実的な物語展開のせいか、読んでしまった。 「はぐれ鷹」を手にしたのは偶然で、最初は「邂逅の森」を読みたいと思い、図書館に予約したら、「はぐれ鷹」が直ぐに読めることになったため。 「邂逅の森」は山本周五郎賞と直木賞を取った作品で、「はぐれ鷹」はその後に書かれたものという違いがあるが。「はぐれ鷹」は通常の社会生活からはぐれて鷹匠への道を歩む岳央と、師匠、師匠の孫、神室合、久美、ほかが脇役として登場し、最終章の月山号との短い闘争の物語。雪山での生活や、角鷹の調教の様子が、今一つイメージしにくいが、次の展開が読めないことが最後まで読んでしまった理由かも。 さて、「邂逅の森」は明日、入手できるがどのような物語か楽しみである。

2008年3月2日日曜日

南房総フラワーマーチ


南房総フラワーマーチに参加した。 Walkingを始めようとして、日本ウォーキング協会と地元のウォーキング協会に入会して、最初の大会が、第18回南房総のフラワーマーチになった。 南房総の千倉を拠点にするので、同じ県内でも前泊が必要になり、料金の観点から相部屋での民宿を希望して二泊した。まずは民宿で出であった皆さん。7畳半の部屋に、三人、昭和16年生まれと20年生まれに団塊の世代、別の部屋に、80歳と70歳の姉妹。いずれウォーキングのベテランで、一人は関東地方のウォーキング協会の役員、一人は、40㌔コースで、海外のウォーキング大会にも何度か参加しており、さらに芭蕉の奥の細道や、四国の遍路を歩いている。姉妹もウォーキング大会の常連で、来週の倉敷の大会にも参加するということで、刺激の強い話にただただ敬服するばかりで、まだまだ若造だと素直に実感。 

さて、ウォーキングのほうだが、初日、二日目と20㌔コース、実際には23㌔ほど歩いたが、フラワーマーチといっても、歩いた道路はほとんど舗装されており、両コースとも前半は南房総の山側の道を、後半は、海岸沿いの車道に沿った道を歩くことになり、足への負担は少なくない。 参加者はゼッケンに出身地と参加回数等を書きザックにくくりつけて歩くが、10回を越える人や、団塊の世代か、1回目というのが目立った。一日目は地元の小・中生も参加しており、総勢で、4千人弱、二日目は、半数ぐらいか、ウォーキング、散歩という雰囲気ではなく、ウォーキング、で歩く。 


今回のコースは、初日、二日目の後半の海岸沿いのコースより前半の山側のコースがお勧め。 特に二日目の山側は、スタートの千倉中学校を出て直ぐのところに、高家神社(ここは時間をかけて訪れたいところ)があり、さらに海岸から数キロとは思えない、山中の林道(舗装されているのが難だが)、ちょっとした渓谷あり、山中のトンネルあり、竹林・杉林と山村の光景ありで、里山あるきの趣。

ウォーキング初参加の印象は、ウォーキング専用の道が少なすぎるというかほとんど無いのではと感じた。 二日目の後半の海岸通では、ウォーカーと逆の方向に多くのサイクリストが疾走していったが、彼・彼女たちは、狭い車道を走っているわけで、これも自転車専用の道路が無いという、国の品位の表れか。


民宿の相部屋は大成功。 同宿の皆さんからの刺激、おいしい食事、夜は、21時に消灯。 二泊で、飲んだ日本酒、6合、ビール一本(初日、宿に帰って一風呂浴びた後の久しぶりのビールでした)。

2008年2月22日金曜日

藤沢周平を読む 続き

藤沢周平を読む。 用心棒ー日月抄、たそがれ清兵衛他、橋ものがたり。 用心棒シリーズの最初の巻。二巻目以降とはことなり、背景に赤穂事件があり、おりんとの絡みはあるが、用心棒の物語として読める。佐知との出会いは、一巻の最後の物語で、まだその後の関係を示すようなものはないが、一巻の成功により二巻以降の縦軸として膨らんだのではと思う。 たそがれ清兵衛他の短編も、一癖ありながらも知られざる剣の達人の物語。その後で、橋ものがたりを読み、付録の娘の特別エッセイを読み、橋ものがたりごろから、用心棒シリーズ等のものがたりのコツをつかんだということか。橋ものがたりには、剣豪は登場しないが弱い男女の機微を織り込んだものがたり。さて次は何を読もうか。

2008年2月20日水曜日

筑波山


山形の旅の行き帰りに、国道294号を使った。行きは取手から白河まで。 帰りは高速を那須塩原でおり、湯津上から294号に。294号は取手から、下妻、下館、真岡、益子、馬頭、黒羽、白河を抜け猪苗代湖の南を抜けて、会津若松を結ぶ国道だ。どちらも天気は快晴、西側から眺める筑波山がなかなか良い。時間があれば車を止めてじっくり写真を撮りたいところだが、ようやく信号で止まっている間に一枚。 南側からの眺めも悪くないが西側からの眺めも悪くない。いつかゆっくり訪ねてみたいと思いながら先を急いだ。

2008年2月16日土曜日

山形のそば

日本酒学校の懇親会で山形の酒を堪能し、八期の同期生とそばの話しに。 酒好きの共通点としていずれもそばも大好き。そばを打つ人の割合も多い。 毎月、第四日曜日に一枚、700円で打つ人まで。 その話題のなかで、伊勢そばがお勧めの店ということで行くことを薦められた。 太さはばらばら、かき揚の硬いこと、それでも一番のそばとのことで、翌日ナビを頼りに訪問。街中から外れた、場所に伊勢そばはあった。 流行っている証拠に50㍍先に20台近くは停めれそうな駐車場もある。店は普通のそばやだが、店の中は座敷にテーブル二つと、土間にひとつ、ほかに奥の部屋と、二階にも席があり二階に向かう。 そこは大きな部屋で、テーブルが10近く、つめれば数十人は座れるスペースに先客は一人。もりと名物のかき揚を頼む。しばらくしてどんぶりに盛られたそばと、見た目には普通のかき揚と、おわんのそばつゆ、青菜の小皿が。 薬味はテーブルの上の唐辛子とわさびだけ。 そばは太目のそばで、のど越しといううより噛み応えが売りの様子。つゆはかつをと煮干だしのちょっと薄めだが、太目のそばにはちょうどよい。確かに普通のそば好きでは評価が分かれるところだが、そばのうまみはしっかりしており、流行る理由がしっかりしている。 かき揚はうわさどおりの硬いかき揚で、そばつゆにつけながら食べると、これは普通のかき揚。種物がない蕎麦屋のアクセントのひとつ。 もりとかき揚で、750円で、満足と満腹感で小雪の中、店を後に。

2008年2月4日月曜日

「母べえ」を見た


「母べえ」を見た。 山田洋二監督、吉永小百合さん主演の映画で戦前から戦後への激動の時代の片隅で時代の歪にもてあそばれた小さな家族の物語。 久しぶりに吉永小百合さんがスクリーンの中に溶け込んでおりなかなか良い映画だ。 脇役が良い。特に檀れいさん、「武士の一分」では役柄から控えめだったがそれでも光っていたが、「母べえ」では登場する場面も多く、一杯光っていた(最近のTVコマーシャルと同じように)。吉永小百合さんが主役でなく、普通の女優がやっていたら主役を食ってしまうほど。それもそのはず、宝塚星組の娘役のトップスターだったのだから。ラストシーンの吉永小百合さんのベッド上のシーンって「愛と死を見つめて」以来かも。 ただ今回の特殊メーキャップはいただけない。アップは不要だった。
映画の舞台になった時代については、いろいろな見方があるだろうけど、どの時代にも見られるその時代の一握りの権力者と権力者から見て、不都合な存在と、権力者に操られる犠牲者(権力者側と非権力者側双方の)の力学に起因する現象ではと思う。

2008年2月3日日曜日

久しぶりの雪


久しぶりの降雪だ。 午前中には上がるとの天気予報も昼近くになると夕方まで続くように変化し、すでに10㌢近い積雪に。 さすがにWalkingは無しで、雪を見ながらくつろぐことに。 山形の酒が尽きたので、衝動的に雪見酒用に新酒を三本注文。

2008年1月31日木曜日

250㌔歩いた

昨年の大晦日に給油したが新年の一月は給油せず終わりそうだ。 走行距離、200㌔を少し越えただけ。 一方で、元日から始めたWalkingは250㌔歩いたことになる。Walkingで期待した減量はあまり成果が出ていないが。 考えてみると、還暦前も通勤他で、一日一時間以上は歩いていたので、一日一時間のWalkingでは減量は期待できないのかも。 ということで、二月の月間Walkingは、一ヶ月で300㌔としよう。

2008年1月27日日曜日

藤沢周平を読む その二

藤沢周平の、用心棒日月抄 三巻を読んだ。 順に、孤剣、刺客、凶刀。シリーズの二巻、三巻、四巻で、副題のない一巻が残った。孤剣、刺客は用心棒を隠れ蓑に、藩命を遂行する中で出会う用心棒逸話を横糸に、青江又八郎と佐知の微妙な距離感が一気に読ませる。四巻では構図が代わり用心棒ではなく、なぞの敵とこれもなぞの藩の一大事の謎を追求する話で、こちらも一気に読んでしまった。 一巻を手にしたら、一気に読むと思うが、こちらは佐知との関係に関しては、二巻以降の導入部なので、一巻の印象は、二巻以降の印象とは異なるのではと思えるが、久しぶりに面白い読み物に出会った。


本を読むのは、いずれも午前中の二時間前後のWalkingの後で、これも習慣になりそうだ。

2008年1月23日水曜日

藤沢周平を読む


藤沢周平原作の映画は見たことはあったが本を読むことはなかった。 が、読み始めた。 最初に、全集の1,2を借りて、初期の作品を幾つか読み、次に代表作といわれる「用心棒日月抄」三冊をかりて、孤剣を一気に読んだ。 庄内と思える田舎の藩と江戸を舞台に、脱藩をカモフラージュして藩命の遂行を縦糸に、江戸での用心棒暮らしの幾つかの用心棒事件を横糸に、青江又八郎と佐知の物語。初期の作品もそうだが背景は江戸時代の庶民の貧しさ。 強いけど貧しい剣豪、幸せとはいえない女性、脇役に賭博士、番頭ほか。映画の原作にピッタリの話が一杯。まだ、海坂藩は出てこないが、しばらくは読書の時間は藤沢周平が続きそうだ。
海坂藩の舞台と思われる鶴岡には、数時間しか滞在したことがないが、たずねたい町のひとつになりそうだ。


上の写真は、鶴岡の数時間の滞在の中で、印象に残った、「藪」の「鴨なんばんと地酒の俵雪」

2008年1月22日火曜日

上機嫌


久しぶりに大学の階段教室に座り若い学生に混じって、特別講義を聴く機会を得た。前夜の旅篭町での前夜祭で、上喜元の新酒を含むおいしいお酒プラス、イタリアから直輸入のこれもおいしいワイン、さらに日本酒で作った梅酒、これも絶品を堪能した夜の翌朝、6時前から目を覚まし、7時のバイキングの前に市役所前からの大学までのバスの時刻を調べ、学生気分を思い出しながらの近代的なキャンパスへ。荒木先生のお話では、60の還暦を過ぎてから入学された方もいるということでしたが、授業に出席されている学生の半数以上は、20歳未満とのことでした。
帰路、十四代、たつの落とし子を入手、上機嫌な二日間でした。

2008年1月20日日曜日

長瀞アルプス


長瀞アルプスに行ってきた。 北千住から東武線で羽生に行き、秩父鉄道の急行で、長瀞の一つ手前の野上に。 駅前には秩父鉄道ハイキングの受付があり、 500円で地図と記念品と緑のリボン、この緑のリボンが宝登山でトン汁の引き換えリボンとなる。駅前には同じ急行で到着した熟年中心の参加者、2・30名が。10:30駅前から、三々五々長瀞アルプスの登り口へ歩き出す。標識にしたがい、冬の里山へはいり、枯れ草の上の道を淡々とあるく。直ぐに、熊出没の看板があるが、温暖化で熊の冬眠にも影響が出たのか。
長瀞アルプスは、名前から想像されるコースではなく、秩父の是前衛の里山という感じで、淡々とした気持ちの良いコース。 幾つかの峠を抜けて、車道にでてからしばらく車道をあるき最後の、宝登山への二百段の階段を登ると、497㍍の宝登山山頂。山頂の近くには、蝋梅見物のハイカーが大勢。 宝登山へは長瀞側からロープウエイもあり一月の蝋梅、二月の観梅客の手ごろなコース。12:03着。 アンパン二つと、トン汁で昼食。 40分で長瀞に表参道を下る。

2008年1月18日金曜日

ウォーキング


一日一時間で始めたウォーキング、週七万歩を達成するためには一日一時間では足りなさそう。 週に一度は、20㎞前後は歩きたい。

2008年1月17日木曜日

60からの男の料理教室

料理教室三回目は、鯖のみそ煮、けんちん汁、ほうれん草の胡麻和えの三種類。 和食の基本は一汁三菜だそうだが料理教室の時間ないでは三点。三回目ともなると調理への抵抗感はうすれ手の動きはスムーズに野菜を処理できた。鯖のみそ煮も思ったより簡単に。 料理教室の翌日、鯖のみそ煮とけんちん汁を調理。ほうれんそうの胡麻和えは前日に。鯖のみそ煮は、みそが粒のあるものだったり、みりんが切れていたりしたが、出来上がったものの味は、料理教室に授業料を払っている成果はある。けんちん汁も出汁をちゃんととり、野菜の処理もテキストどおりだったので、これも合格点。料理教室、月一回から、週一回に増やしても面白いのではと思うようになった。 挑戦したいのは、ケーキ作り。

2008年1月10日木曜日

陶芸教室入門


陶芸教室に入門した。 毎月四回半年の初心者コース。まずは、土を三㌔ほどテーブルの上の板の上に置き先生の土を捏ねる姿を見てから捏ね始めるが、これが思った以上に力が必要。初めての経験なのでコツも分からず、力任せで直ぐに汗が滴り落ちる。先生はやわらかさが足りないということで、土に指で穴を作りそこにスポンジで水を加え、捏ねる。捏ねかたには”菊捏ね”ともう一つあり、まずは最初の捏ねかたを教わるが、身につくほどの練習量ではなく、初日の習作のための菊捏ねは先生が、80回ほど捏ねて材料を仕上げる。 初日の作陶は、コーヒーカップ。まず菊捏ねを終わった土の塊を、型紙に併せて平らにし、厚さ6㍉の厚さに糸を使い三枚に下ろす。次に型紙に併せて、矩形に切りそろえ、余った土で回転台の上に、底になる部分をやはり厚さ7㍉で平らにし、次に円筒形のパイプで底の円形に切りとる。次に、のりしろ部分に小さな熊手ですじを着け、そこに水で溶いだ土をつけ、底の上においた円筒パイプを型紙で作った矩形の土を巻き、一㌢ほど重なるように巻く。次に取っ手をつけるが、15㍉x6㍉x10㌢の取っ手をつくり、真ん中部分を凹ませて、先に作った円筒状の土の上に付ける。 このときも、付ける部分を小さな熊手ですじを付けておき、水で緩めた土を接着剤がわりに付けておく。 取っ手をつけたら、補強のひも状の土を、取っ手を取り付けた上の部分につけて接着量を増やす。次に底の部分の円周上の土を整形し、スポンジで周辺をきれいにし、円筒状の上部外周を滑らかにする。 これが終わると、回転台のコーヒーカップの形になった円筒の底部を糸で切り離し、円筒パイプをつかみ、回転台から持ち上げ、底の部分にイニシャルを刻む。その後、紙の上に円筒形のコーヒーカップを置き、回転台の残った槌をきれいにした上で、その上に置く。 次に、円筒パイプ、パイプの周りにはパイプを土がくっつくのを防ぐために布を巻いてあるが、円筒パイプをまわしながら外し、布も取り去る。その後で、コーヒーカップの内側の底部の外周部を補強するために、土をひも状にしたものを、底部の周辺に置き、底部の補強を行う。ひも状の土を配した後で、ベースの土と馴染むように木のへらで、整土を行う。見た目に整土されたあとで、スポンジで内部を滑らかにし、作業終了。 初日は、以上を三回実施。 一回目は半分以上の作業を先生が行い、二個目、三個目は生徒が行うが、最初に見た製法を全て暗記しているわけではないので、時々先生のガイドを確認しながら行ったが、三個目の時には円筒形がちょっと傾く始末。 それでも、三個目を作ったときは、三時間のクラスで、二十分を残すだけ。 残り時間であまった土をまとめ、使ったテーブル、木のへら当のクリーニング。一通り済ませて、陶芸教室最初の成果を写し終了。 この後、素焼きに向かうそうだが、二・三週間かかる模様。

2008年1月8日火曜日

地元のウォーキング


一日一時間のウォーキングを続けるには何らかのガイドがあると容易では。 ウォーキング関連の検索で地元のコースを探索し、一時間コースにアレンジ。 今日も、一時間コースをガイドに従い歩いたら、半径30分の範囲にも歩けるコースがあることに気がつく。今日も、そのような発見があった。 近くの路地と思っていた細い道に沿って、野馬土手という昔の放牧場を囲んでいた土手の名残が残っていることを発見。 残っているといっても保存されているというより残骸という感じの残り方だが。周囲の畑が開発されると新たな道路が作られ、そのつど、削られていくようだ。野馬土手で検索すると、「野馬土手はないている」という著作を発見。各地の野馬土手の同様の状況への告発本か。最近、世界遺産という動きがあるが、歴史的構築物への遺産にたいする世界遺産を頂点とする裾野への対応を見ることで、その国の品位が見えるというものではないのかな。

2008年1月7日月曜日

高尾山


週に一回のトレッキングを目標に、一回目は高尾山に行った。昨日までの冬の晴天が、一転曇りの寒い日に。7時半ごろ家を出て、高尾山口についたのは、十時過ぎ。10時15分ケーブルカー口から稲荷山コースへ。昨日は、平地で15℃ほどあったが、この日は10℃以下。上のほうは5℃前後の寒さ。11時20分ごろ山頂下につき、山頂に向かわず、一丁平へ。このコースで出会う人はほとんど熟年、若い人は数えるほど。一丁平コースはきれいな霜柱が見れるそうだが、道端にあるのは崩れたものだけ。一丁平では長居はせず、高尾山頂へ向かい、12時20分、高尾山頂。 この辺にくるといろいろな服装の人々や子供連れも目に付くように。やはり長居はせず、薬王院へ。寒いのと汗でぬれた下着が冷たくなり、山頂駅からリフトで下って、まっすぐに高橋屋へはいり高尾山を常温で胃に流すがそれでも暖かくならず、暖かいとろろそば大盛りを頼み、温まることに。 ハイキングの時間、三時間。 京王線、中央線・総武線で船橋に着くころには、雨が降り出す寒い一日だった。

2008年1月4日金曜日

筑前煮 その二

大晦日に調理した筑前煮が我ながらなかなかのものだったので再挑戦。 インターネットで筑前煮のレシピーを見ると、四人前の素材、調味料の使用する量がばらばらであることに気づき、それでもテキストを参考に素材を準備。気持ち、日本酒、みりんを増やし調理時間に二時間費やし、出し巻き卵もつくり終了。出来栄えは夕食の時の家族の反応を待つだけだが、そんなに悪い反応は出ないのではと思うが。 何度か台所に立ってみて、台所の狭さが気になった。 家を作るときはシステムキッチンのレイアウトで決めていたが、必ずしも調理する立場での要件は考慮しなかったと思う。 スペース、資金の制約からあまり選択肢はなかったのだが、実際に調理する立場での利便性は考慮していなかった。 でも調理、数回の立場で利便性を云々するのも身の程知らずかも。

筑前煮 その二、味は自画自賛物でした!!
(19:50)

2008年1月3日木曜日

ウォーキング

元旦から三日で、21.5km歩いた。 一日、一時間を基準にまずは家の周りからあるいた。歩くといろいろなことに気がつく。 ①歩道がない 家から最寄の駅まで歩道もセンターラインもない道センターラインがあっても歩道がない または白いラインでごまかしている ② 道路に名前も、街角に住所もない 最寄の施設への案内はないが、地震の時の避難場所があるだけ、地域の地図もない ③ 旧街道も国道中心で車優先要するに、歩く人を優先した街づくりになっていない 等々 でもウォーキングしながら住んでいる地域の全く知らない面に出会える楽しみもある。 しばらくは地図を持たず、迷路を歩く気持ちで歩き回りたい。 幸いなことに西高東低で関東地方は晴れの日が続くようだ。

2008年1月1日火曜日

2008年元旦


2008年謹賀新年 2008年新年の幕開けは、仁左衛門という豪勢な朝です。今年の、抱負、一日一時間のウォーキング、週二日のアスレチック、毎月三回の、トレッキング、毎週、四冊の読書、それと毎晩の美酒!!