2009年1月23日金曜日
伊達政宗を読んだ
天地人を読んだあと、伊達政宗に興味を持ち、「臥竜の天」を読んだ。どちらも作者は火坂雅志なので、天地人の続編。それまで伊達政宗って青葉城の銅像にある独眼流ほどの知識しかなく、二つの本により、生まれが米沢で、会津にも行き、最後は江戸で死んだこと、その間、当時の権力者の常で、スキあらば天下をとろうとの野望を持ち続け、秀吉・家康に対立すること数度、ぎりぎりのところで死を免れ、寿命を真っ当した稀有な、そして強烈な個性が多くの伊達政宗物語を生んだのではと思う。一方の直江兼続のほうは戦や統治では正宗以上の有能ではあったが、地味な印象からあまり語られることが無かったのかなと、最近の直江ブームかなとも思うが、いずれにしてもこれから越後、会津、山形、宮城を歩くときに両人の足跡は参考になる。
写真は、山形の長谷堂の城山。
2009年1月7日水曜日
越後、会津、米沢
越後、会津、米沢は私の主要な活動領域だ。 だけど去年まで、直江兼続って全く知らなかった。 が、越後、会津、米沢の近くを通ると、今年のNHK大河ドラマ、「天地人」と直江兼続の名前を目にすることから、ついに図書館で幾つかの本を予約し、読み始めた。 最初のが、小和田哲男著の、「名参謀 直江兼続」、二冊目が。火坂雅志著の、「直江兼続の義と愛」。 いずれも小説ではなく、数少ない事実を中心の直江兼続の姿を描こうというもの。小説ではないので、史実と史実の行間を埋める物語はない。上杉謙信の薫陶を受け、織田信長の時代、豊臣秀吉、徳川家康の時代を、主君を支え生き抜いた参謀。
徳川家康と開戦寸前まで行き、関が原で敗れた石田光成の子孫を米沢に匿い、その後関係を修復し、会津から米沢へ、120万石から30万石に大減封されても上杉藩を存続させた参謀。その後、江戸末期の、上杉鷹山の藩政改革につながる米沢の町を歩いて、市民の上杉神社への、思いがことのほか強いことの大きな理由が読めたと思う。これから越後、会津、米沢近辺を歩くときに、直江兼続の足跡は大きな道しるべの一つになるのではと思う。
徳川家康と開戦寸前まで行き、関が原で敗れた石田光成の子孫を米沢に匿い、その後関係を修復し、会津から米沢へ、120万石から30万石に大減封されても上杉藩を存続させた参謀。その後、江戸末期の、上杉鷹山の藩政改革につながる米沢の町を歩いて、市民の上杉神社への、思いがことのほか強いことの大きな理由が読めたと思う。これから越後、会津、米沢近辺を歩くときに、直江兼続の足跡は大きな道しるべの一つになるのではと思う。
登録:
投稿 (Atom)