辻原登 「翔べ麒麟」を読んだ。 きっかけはラジオ深夜便で辻原登のインタビューを聞いたことと、「翔べ麒麟」を知ったこと。歴史上に記録された事実と、事実と事実の間の膨大な空間を創作し読み物にするという物語。阿部仲麻呂(朝衡)という遣唐使として唐に行き、唐の騒乱の時代を72歳まで生き抜いた人物を軸に、記録にない行間を豊かな創作力で紡いで唐の時代を生き生きと蘇らせてくれる。広大な大地と悠久な時間軸と、多くの登場人物を配することが可能にしているのは時代を記述した記録・文学の質・量のすごさと思う。中国三千年の歴史の重みが背景にあると思う。
玄宋皇帝、楊貴妃、楊国忠、安禄山、藤原清河、吉備真備、大伴古麻呂、王維、杜甫、李白、ほか歴史に名を残す人々の間に藤原真幸、李茉莉、李春、劉小秋、ほか、歴史の行間で活躍したであろう魅力ある人物と、正倉院に残る、金銀平文琴と、「あまのはら ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも」。
2008年4月28日月曜日
2008年4月21日月曜日
三春の瀧桜
三春の瀧桜を見た。 満開の前日、前日からの全国的な雨の中、初めてみたがなかなかの桜だ。 郡山から三春へ向かう途中の桜も満開、三春の街中には、訪問者を意識した街づくりが行われており、この季節にはさらにしだれ桜が道筋にひときわ目立つ。 瀧桜の近くには不動桜もあり、こちらは小高い不動堂の脇に咲く桜で、時代劇の場面に使われそうな光景だ。 瀧桜の周りは歩道が整備されており、 360°から眺めることが出来るようになっている。周辺の道路にも見事な桜並木があり、時間のたつのを忘れそうだ。 三春街中に、「デコ屋敷」という案内があり、案内に従って進むと、そこは農家の中、三春駒の看板がならぶみやげ物屋が並ぶ高柴地区。その一つに入ると、三春駒という名は三春町が勝手につけた名前で、もともとは高柴木馬が元祖とのこと。せっかくの機会なので、一つ千円の三春駒を購入。
2008年4月14日月曜日
城山三郎 「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。
城山三郎 「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。 タイトルだけで状況が手に取るように見えると思えたが、内容は偶然の出会いから妻の死までの約半世紀の幾つかのシーンを綴ったもので、そのあとの状況に関しては、タイトルのみが全てというものだ。 本書は、この状況から七年後の作者の死の直前に書かれたおのだそうで、本になったのは死後のこと。ぽっくり空いた空洞の大きさがこの本の全て。
2008年4月13日日曜日
2008年4月11日金曜日
諸葛孔明を読んだ。
諸葛孔明を読んだ。 陳舜臣の本である。 吉川栄治の三国志は読んでいたが、諸葛亮に焦点を置いたのが本書である。 三国志もそうだったが感心するのは中国の奥の深さだ。 後漢末期から三国時代、二世紀から三世紀にこのような物語の原典が記録されていること。読んだといっても登場人物、出てくる地名を全部読みきれているわけではない。特に地名は略図に載っていないので、距離感が見えない。人名は文脈の中で主役・脇役・その他の違いが分かればよい。魏・蜀・呉の間の争い、簡単な略図しかないので、大遠征の大変さが把握できない。中国大陸を、揚子江の南北をいとも簡単に移動し戦う。 戦略・兵站・交渉、この時代でも三国間の通信システムは出来ていたようで、敵・味方間で書簡の往信が出来ており、主要な街道もあり、それぞれの領地の地図もあり、また南方、西方の国々とも往来があり、人の行き来がある。中国には一度しか、北京の周辺、行っていないけど、探索するには魅力的な地域である。 問題は想像以上に、マスコミで伝えられている以上に、一杯あるようだが。
2008年4月4日金曜日
藤沢周平全集第十八巻を読んだ
藤沢周平全集第十八巻を読んだ。 十八巻は「よろずや平四郎活人剣」シリーズ24編。 用心棒シリーズの時代背景は元禄だったが、活人剣シリーズは、天保の改革の時代、老中水野忠邦や鳥居耀蔵が権力を握っていた時代と同じ江戸時代でも大分状況は異なるところ。主人公は「よろずもめごと仲裁」業の神名平四郎、旗本の息子ではあるが、末弟という身分。一人暮らしの裏店で、よろずもめごと仲裁業のもめごとを軸に長兄の手伝いをしながら道場を造り身を固めるまでのものがたり。 用心棒シリーズと異なり登場人物は善良な市民と小悪人。許婚、早苗との場面はすくなく、さっぱりした筋書きだが、藤沢周平の描く平四郎や北見、明石の人物像が良く描けており、一気に読んだしまった。 また水野忠邦、鳥居耀蔵、遠山影元の名前から、天保時代の断面も見ることが出来たのは収穫。さて、次は、全集の第19巻か。
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