奥明日香

奥明日香
最新のウォーキング

2010年11月24日水曜日

前橋を歩く


前橋のウォーキングジャンボリーに参加した。 前日、常磐線、水戸線、両毛線で佐野経由、前橋へ。 前橋には何度か来ているが、いづれも知人宅にお世話になる形。 前橋市内には気になる居酒屋があり、ウォーキングの前泊を利用して訪れてみた。 天気は雨、ホテルから傘をさして、前橋駅前の大通りを歩く。 県庁所在地の主要道路にしては、雨の夕方の通りは暗いし、空き地も多い。 最寄の交差点の横断橋をわたり、繁華街のはずの、くらい通りを地図片手に進み、小さな看板の店を発見。 「つくし」、ドアをあけると、すぐカウンターの事前のイメージに比べると狭い店内に、客はなし。 店の中には若い主人が1人。 左側の端っこに座り、まずはお勧めの地酒を頼む。 しばらくすると付き出しが、小皿に。 中はおでん。 地酒は一升瓶から冷酒用のグラスに、水芭蕉の蔵元の冷酒で、口当たりの良い、さわやかなもの。 次ぎは、「三代」というラベル。 そのつぎは、覚えていないけど、五つ目は「赤城山」。 その間に、鯵のなめろう、壁面には一杯、メニューが乱雑に張られていたのだが、なめろうのところが良く見えて、鯵のなめろうを選択。 しばらくすると、未成年ずれと、常連と思える客が加わり、静かな前橋の夜は更ける。 L字型のカウンターは、8人で一杯の感じ、カウンターの中は、狭いスペースで、カウンターの奥にも調理用のスペースがあるようで、普段は二代目夫妻と三代目の三人でやっているとのこと。 初代は、「お富さん」の作詞者だそうな。 グラス、五杯を楽しんだ後、店を後にし、前橋駅前のコンビニで寝酒を確保し、ホテルへ。 

翌朝は、6時半に朝食を取り、8時5分の小山行きで、一つ先の前橋大橋のウォーキングコース、スタート/ゴール地点に。 明け方まで降っていた雨は上がり、西側の空には青空も見えてきて雨を心配する必要はなし。 23㌔コースに集まったのは、数百人か。 
一寸、長めの主催者側の挨拶の後、9時過ぎに出発。 前橋市内から利根川河川敷を歩き、バラ園から前橋の遺跡を通り、群馬総社からゴールを歩いた。

2010年11月21日日曜日

飯沼本家で新酒祭り

南酒々井から10分弱の農村の一角に、千葉県一の生産量を有する飯沼本家の酒蔵があり、
今日は、22BYの新酒祭り。 先月、南酒々井を降りたのは二人だけだったが、今日は30人ほどが
無人駅に降り立った。 飯沼本家の会場に着くと、すでに隙間がないくらいの大盛況。 曲がり家の前では新酒祭りのご挨拶が行われており、振舞い酒は10時30頃始まるとのこと。その間、その日の朝、絞った生酒を購入。 振舞い酒が始まると人並みを書き分けて、小さな紙コップを持ち、新酒祭りスタッフから注いでもらう。一寸辛口の、でも絞りたてのう口当たり。 タンクの周囲に居座り、小さな紙コップに何度も注いでもらう。 大渋滞の後方に並んだときは振舞い酒にたどりつけるのかどうか不安だったが、そんな心配は全くの杞憂。タンクの回りに集まっているのは日本酒好きの千葉県民。 タンクが空になったのを見届けて、酒粕漬けの梅とこんにゃくを購入し、シャトルバスで、酒々井駅へ。 満足な新酒祝いだった。

2010年10月28日木曜日

酒々井を歩く


酒々井を歩いた。 京成酒々井から京成佐倉までの20㌔のウォーキング。酒々井の山里の中、そば畑や、ピーナッツ畑の間の村の中の、「酒々井ハーブ園」や「曲がり家」も通過、飯沼本家という旧家の前を通り抜け、佐倉市内の、旧佐倉藩士の旧居跡を素通りし、佐倉城址跡から京成佐倉まで。 九時に歩き始めて13時にゴール。 駅の近くで喉の渇きを癒したいと思ったが、適当な店が見当たらない。 仕方なく、家の近くの最寄の駅前に最近開店したファミリーレストランで、生ビールと、パスタと赤ワイン、〆て1000円でおつりが返って来る安さ。 でも喉の渇きを癒すにはタイミングを逸していた。 家に帰って歩いたコースを確認したら、「曲がり家」、飯沼本家とは、千葉県でも一、二の規模の蔵元のこと、蔵元の経営する店であることがわかった。 ただ、歩いているコースには酒蔵であることを示すものや、風景は全くなく、日本酒好きとしては、凡ミス。 ウォーキングから三日目、天気は雨模様だったが、南酒々井を目指した。
南酒々井

総武本線で佐倉の次ぎの駅だが、無人駅で全くの田舎の駅。駅前には民家が数件。 「曲がり家」まで800㍍の看板が一つ。 銚子行き五両編成の車両から降りたのは二人。 道なりに進み、交差点を一つわたると、三日目に歩いたピーナッツ畑がでてきて、その左側に「曲がり家」の看板が、でも酒蔵の看板は無い。
 曲がり家に入ると、周辺は酒屋の模様で、甲子正宗ほか、金賞受賞酒ほかが並んでいる。
(写真は、飯沼本家、左側が曲がり家、正面が飯沼本家の門と、後方に酒蔵が。)
曲がり家に入ると、車ですかと聴かれ、電車ですと応えると、すぐに試飲の案内に。 初めて口にする飯沼本家の吟醸酒や古酒他を味わい、蔵の見学が可能かどうか聴いてみると、直ぐに対応してくれ、1人の見学人のために蔵人が案内してくれた。 蔵は、外観とは異なり、三階建ての工場で、精米、洗米、浸透からの工程が機械化されており、仕込が始まっているのに、蔵人の姿は少なく、動き回る様子はない。 聴くと、昔は10万石ほど作っていたそうだが、最近は一万石程度で、殆どが地元向けとのこと。 30分ほど見学し、絞りたての上撰酒を味わい、再び曲がり家にもどり、せっかくのもてなしへの礼を兼ねて、金賞受賞酒と純米吟醸酒を購入し宅配便で送ってもらうことに。 更に、11月21日の新酒祭りのビラを貰い、気持ちよく、蔵を後に。天気はいつ降りだしてもよい空模様だが、予定通り、JR佐倉駅にでる田舎道を一時間ほど歩いた。酒々井という地名からおいしい仕込み水が取れるということだが、近くに水源と思えるものは見えず、それでも300年もの間、酒を作り続けていることに、乾杯。

2010年10月15日金曜日

谷根千を歩く


谷根千を歩いた。 日暮里から西口を出て、谷中銀座に出た。 目当ては、谷中の「愛玉子」、”オーギョーチ”という。

 愛玉子というのがあることを知ったのは、何年か前の新聞のコラム。そのときの記事から伝わる愛玉子の印象がずうっと残っており、いつか食してみたいと思っていたもの。実は、今年、台湾に行ったときに、同じ漢字でいくつもの屋台が出ていたのだが、愛玉子は谷中からという先入観で、見るだけに終わった。 谷中銀座から、よみせ通りを抜けて、谷中桜木の交差点の手前にその店がある。 店に入ると、昔のミルクホール的な店内に、各種の愛玉子のメニューがある。 中からワイン愛玉子を注文、ガラスの器に寒天と赤いワインが。寒天風のものが愛玉子。味はないので、ワインやウイスキー他のシロップ系で味をつけるようだ。

蒸し暑い季節に清涼感を味わう食べ物か。 店を出て、谷中桜木交差点の処に、旧吉田酒店の建物が資料館として展示されている。 江戸時代からの酒屋で明治に立てられて店構えを移転し資料館にしたとのこと。

中には入らず、言問い通りの、めぐりんバス停からめぐりんバスに乗り、浅草まで100円の旅、浅草から三越前に出て、三越で展示中の、「美の饗宴<陶>食のうつわ展」を観て来た。

2010年10月11日月曜日

スカイツリー界隈を歩く


GRDが壊れたので、CoolpixP7000を購入、試写をかねてスカイツリー界隈を歩いた。 亀戸で降り、明治通りから蔵前通りに入ってもスカイツリーは見えない。亀戸天神に入って、太鼓橋の手前でようやくその姿が視野に入った。亀戸天神から亀戸の下町を抜けて、亀戸天祖神社脇を抜け上十間川に出ると川をまたぐ歩道橋の上は人で賑わっている。 皆、スカイツリーを観に、あるいは写真を撮りにきた人々である。その群れの1人に加わり、何枚かの写真を撮った。さらに北十間川に沿ってスカイツリーの方に向かうと、さらに行きかう人の数が増えてくる。押し上げ駅前にくると更に混雑状況が増してくる。周囲は墨田区の裏町の風景。この辺まで来るとスカイツリーは見上げるような近さになり、クレーンの動きも目の前の距離に。 現在のスカイツリー、 478㍍、来年の末には、634㍍で完成予定。完成後の、墨田区がどのように変容するかは楽しみである。 北十間川沿いに洒落た店が多く並ぶのだろうか。 業平橋駅前から本所吾妻橋を抜けて、吾妻橋を渡り、浅草に入るといつもの大混雑。仲見世は大渋滞。近いうちにこの賑わいがスカイツリー周辺にも展開されるのだろうか。

2010年10月6日水曜日

奈良を歩く


奈良を歩いた。 奈良といっても広いが、歩いたのは、吉野から飛鳥、桜井市から山辺の道、そして平城京跡から奈良市内。 いずれも、20㌔前後のウォーキング。 桜で有名な吉野は初めて。 前夜、上千本と呼ばれる地区の民宿に泊まり、地酒”やたがらす”を味わい、翌朝、近鉄吉野駅前から歩き出す。 吉野町役場前を通り、飛鳥への峠越え、芋峠を越えて、奥明日香から石舞台を経て、古墳通りを抜けて、飛鳥駅前へ。 奥明日香は、棚田に稲穂が色づき、彼岸花が彩を添え、絶好のウォーキング日和。汗もたっぷり。 飛鳥駅前で預けた荷物を受け取り、八木の宿へ。 缶ビールを買い、シャワーを浴びた後で、喉の渇きを癒す、潤い。 翌日は、畝傍駅から桜井に行き、市役所まえから九時に山辺の道へ。 山辺の道は、一度歩きたいと思っていた道。 多くの遺跡や寺院が並ぶ道。 近くに箸墓古墳もあり寄り道したかったが、ウォーキングのペースは寄り道の余裕は無い。 天気は最高で、山辺の道を散策する観光客も多い。 途中のチェックポイントで三輪ソーメン他の接待あり。 天理観光農園では、ソフトクリームに心を惹かれたが、手持ちのミネラルウォーターで我慢。 石上神宮を抜け、白川溜池を経て、二時に櫟本駅前へ。 荷物を受け取り、奈良駅へ。 当初は、駅から宿まで歩くつもりだったが、渇水状況で、タクシー利用。 宿に入ると、缶ビール二本購入し、一本は部屋に入ると直ぐに開け、二本目はシャワーの後に空けようやく、人心地。夕方、奈良市内の目当ての居酒屋へ行き、春鹿を堪能。 まだ渇水状況が残っていたためか、店を出るとき、足元が一寸、ふらついた。 春鹿の店は、再訪したい店。最終日は天気予報は午後から雨模様。 平城京跡の朱雀門から九時に歩き出す。 奈良市内の旧い町並みを歩き、春日大社から二月堂、このあたりからパラパラと降りだしたが、傘は差さずに東大寺を抜け、鴻池からウワナベ池、コナベ池を経て、朱雀門へ一時着。 バスで、宿の近くへ行き、喫茶店でサンドイッチをビールで流し込み、さらに宿に戻り、シャワーの後に、缶ビールを二本。 三日間のウォーキングを終了。 夕方から翌朝は雨。 荷物は、宅配にし、ザック一つで、奈良から関西線で、加茂、亀山を経て名古屋へ。 名古屋から、豊橋、浜松、静岡からこだまで帰宅。 久しぶり、7月から9月までウォーキングできず、ウォーキングを楽しんだ。

2010年9月26日日曜日

メロンパン


メロンパンを作った。 メロンパンは、記憶にある限り、一度もパン屋で買って食べたことがない。 パンを焼く、料理教室で、初めて作り、初めて味わった。 焼き立てなので、こんなにおいしいパンだったのかと、感激。 週末に、料理教室の成果を示すべく、教室の四人分、12個のメロンパンをこねて、焼いて、食した。 やはり、焼きたてはおいしい。 料理教室では、メロンパンの他に、全粒粉のけしの実パンを作ったが、パン生地も、焼き方も異なるので、家で、一度に二種類を焼くには手間がかかるので、これは次回にしよう。

2010年9月15日水曜日

新幹線を振り替えに

9月11日の、上喜元の会で、旅篭町に。 たっぷり楽しんだ翌朝は、雨、7時前に山形駅に行くと米沢方面は土砂崩れで不通。 開通の見込みが見えないので、急遽、仙台行きのバスに変更。仙台について、乗車券のみ購入し、改札口を抜けると、東北本線も白石まで開通したとのことで、福島までの運行が見えない。 改札口で、福島へ行きたいのだと駅員に話すと、なんと、新幹線の特急券の振り替え乗車券を渡された。 乗車券と新幹線の振り替え特急券で、福島へ出ると、その先の郡山行きが、まだ白石にとまっているとのことで、駅の前のバス停に行くと、丁度、郡山行きがきたので、それに乗り郡山へ。 郡山で黒磯行きに乗ると、福島からの列車が到着。 福祉まで、一時間近く待てば、この列車で着たのかと思いつつ、二両編成の黒磯行きで旅を継続。 黒磯駅で、宇都宮行きに、乗り換え、宇都宮で、地酒と餃子で昼飯とし、宇都宮発上野行きのグリーン車に収まり、帰宅の途へ。

2010年9月5日日曜日

釜山の旅


釜山、二泊三日の旅。 実際は、大阪からのフェリーの旅で、フェリー二泊、四泊五日の旅。釜山のグルメ旅としては、短かったが、釜山の魅力を味わうには十分。 安い、旨い、近い、ので次の機会は近いうちにあると思う。

2010年8月15日日曜日

七垂二十貫


七垂二十貫(しちたるにじゅっかん)。 場所は、前橋市の利根川河川敷。前橋花火の夜。 一寸、しぶきのような雨もどきもあったが、中々の花火日和。 豪華な弁当、つまみとともに、味わう旨い酒。 なんとも贅沢なひと時です。19時15分より、20時40分頃まで花火を楽しみ、その後、知人宅に集まりシャワーを浴びてスッキリした後で、宴会そのに。 25時過ぎまで楽しみました。

2010年8月11日水曜日

猛暑の中、飲み続ける

例年とは異なる猛暑の中、ウォーキングの量は減ったが、相変わらず飲みtづ付けている。 6月21日の大懇親会、6月23日の小伝馬町での飲み会、7月 03日-04日と、山形から鶴岡での飲み会、7月17日-19日は苗場、7月23日は小伝馬町で現役時代の同僚と、そして7月29日から8月01日と山形、福島の旅。そして、8月06日-09日と小谷、白馬村の旅と。そして今週末は、前橋の花火大会と続く。 猛暑の中、冷房の効いた部屋で過ごしてばかりいるより、大汗をかいても外に出て、一風呂浴びて、旨いお酒を楽しむ機会を中心の生活のリズムが心地よい。

2010年6月14日月曜日

「天地明察」沖方 丁 を読んだ。

「天地明察」沖方 丁を読んだ。 江戸時代に実在し、大和暦を導入した渋川晴海を描いたものである。 本屋大賞に選ばれるくらいだから面白い。 最近読んだ、「天・地・人」、「伊達正宗」、「寛永主従記」はいづれも会津若松が背景になっており、実在の人物を描いている。 それくらい会津若松は面白い人間を生み出しているということか。 二週間前に山形の帰りに会津若松を通過したが、来週も磐越西線から会津鉄道へ抜ける予定だが、じっくり時間をかけて訪れてみたいと思う。 土津神社というのは聞いていたがそれが保科正之を祀った神社というの、「天地明察」で初めて知ったのだから。

2010年6月13日日曜日

北海道フェリーとバスの旅


6月8日からフェリーとバスの往復で北海道の短い旅。大洗から苫小牧へ二等の席、幅60㌢のマットにシーツが二枚と毛布が一枚。 満員になると混んでいる山小屋の様相になるが、幸い40%程度の混み方。 隣は気にならない。翌朝、苫小牧周辺は霧で、何も見えず、肌寒い。 バスで苫小牧ー札幌ー旭川へ移動し、夜は目的のひとつ、[独酌三四郎]へ。18時過ぎで先客は三人。誰もいないカウンターの左端に座り、まずは経木に書かれたメニューをざっとみて、旭川の地酒、国士無双から"烈"を。グラスにつがれた酒に口を近づけ初めての旭川の酒を味わう。つまみに、うどの巣味噌和えと、旬の一盆を頼む。出てきた盆には六つの小皿がならび、店の旬の味が並んでいる。量は一人には十分。つまみを味わいながら、男山の純米吟醸酒、女将の薦める、[風のささやき]、国士無双の純米大吟醸と地酒を楽しみ、焼き物は次回にと思いつつ店を後に。雰囲気は良いが、客のいりが、・・・。
翌日は、8時40分のバスで旭山動物園に行き、いろいろな、メデイアで有名になった園内を歩きながら二時間強過ごし、旭川から札幌にバスでもどった。途中旭川駅で札幌方面の各駅を調べたら日中は特急があるのみで、各駅で乗り継ぐにしても、半日で一本ぐらいしか無い状態。都市間はバスで良いが、ローカル線の旅は存在しない。

札幌では、宿にチェックインし、ひと風呂あびて、ススキノ近辺の、インターネットで調べたら店、[浜っぺ]に向かう。宿から数分の所にカウンターと小上がりの店の狭さは居酒屋のそれ。先客は三人、カウンターの奥に座り、店の隠し酒からおすすめを。最初は、旭川の男山の生元。つまみは、うどの巣味噌和え、イカ刺し、ほっけを頼む。うどは旬の山菜、イカ刺しは、生姜のほかに、やまわさびと、ヒマラヤ岩塩で。隠し酒の次は、増毛の酒を味わう。中々北海道以外では飲めない酒が旨い。7時まえにはかうんたーも小上がりもほぼ満席。でも日本酒は一人だけ。居酒屋の好みでいうと、旭川より札幌。 翌日は、バスで小樽を往復。昼は味の三平で、なつかしい味噌ラーメンを楽しみ、苫小牧にでて帰りのフェリーに。行きは、二等、帰りは、カジュアルだったが、このカジュアルの場所が船尾に近く、エンジン音と振動で熟睡できず。フェリーは個室に限ると思いつつ次回のプランはと計画が始まった。

2010年6月2日水曜日

酒の井を歩く


30日に、酒々井町のウォーキングの集合時間に集合できなかったので、二時間後に、京成酒々井駅に降り立ち、双体道祖神の概略図のみを手に、歩き始めた。最初の道祖神の場所を探して細い道を行くと、畑の向こうに小さな神社が。 小さな細い道を回ってみるろ、小さな社と、右手に、道祖神を祭った社が。 これが二宮の双体道祖神。 さらに、国道の下のトンネルを抜けて、田舎道を行くと、二つ目の道祖神。 さらに概略図に従い歩を進めると、「酒の井」の案内板があり、そちらに寄り道。 なんと、昔酒飲みの父親に酒を飲ませたい孝行息子の前に出現した、「酒の井」(写真)だそうな。 何故か、普通の人にはただの井戸だそうな。 さらに細い道を進むと、大佐倉城跡のガイドが、さらに山道の脇に、「マムシ注意」といういやな案内板が。 恐る恐る、城跡への道をたどり、何もない、城跡を確認し、下山。 そして
本日、三つ目の道祖神、大佐倉道祖神を見て、京成酒々井の駅へ。 この間、約一時間半のウォーキング。 一時間に三本の電車を待ち、帰宅。

2010年5月30日日曜日

「ローラーガールズ・ダイアリー」を観た

「ローラーガールズ・ダイアリー」を観た。 きっかけは、先週の金曜日のシネマ万華鏡の、★★★★★評価。 原作は、「Whip it」。1960年代から流行った、ローラーゲームにはまったテキサスの田舎町の17歳の娘の話。 これが★★★★★評価通り面白い。 1960年代の時代背景と、テキサスの田舎の雰囲気が画面に大盛りのサービス。格闘技ローラーゲームの醍醐味、ロッカールームでの、ドンちゃん騒ぎ。テキサスも良いが、何故か最初の海外出張のの地、ニューヨークに行きたくなった。1ポンドのフィレミニヨンを試した、Smith & Wollensky他に行きたくなった。

2010年5月29日土曜日

iPadを購入

5月28日、iPadの発売日に、iPadが届いた。 早速、電源を入れ、WI-FI 接続を試みるが、検地した無線に対して、パスワードを入力せよとのこと。暗号keyなら納得だが、パスワードとは? Webで検索したが、とりあえず暗号 keyくを入れてみると一発接続。メールやカレンダーは、outlookとの同期はできるが他のソフトはだめ。 outlook expressを中継し、メールアカウントは同期したが、アドレス帳と、カレンダーはだめ。Web BrauserはSafari なので、PC上のSafari経由でBookmarkをコピー。通常使っているWebを幾つか試したが、WeatherNewsはなぜか、iPad上では展開できず。 iTunes経由で、Musicと写真を同期。 これはMacからそうだが写真がきれいに見える。 というか彩色に強調があるようで、きれいな写真が映える。あとは、iBookから幾つかを検討中。 漢字字典、英和・和英、図鑑等。バッテリーは、10時間ということだが、いま使っているPCのものよりは持ちそうな感じ。

2010年5月25日火曜日

最近読んだ本

最近読んだ本。 「寛永主従記」、「小太郎の左腕」、「中国女工哀史」、「まほろ駅前番外地」、「灰色の午後」、「あにいもうと」、「風たちぬ」、「6teen」。 間に、邪馬台国から古墳時代の解説書を幾つか。「寛永主従記」は新聞の書評で昭和20年代の田宮虎彦の作品で、ようやく出版されたもの。 内容は、会津藩二代目、加藤時代のお家騒動に基づく話で、会津藩では蒲生家と松平(保科)家が知られているが、加藤家は知られていない。この物語は、その背景を描いている。「小太郎の左腕」は戦国時代の架空の物語だが、やはり主従関係を縦糸に御家騒動をアクセントにしている。この作家、和田竜はまだ若い作家、これからが楽しみ。「中国女工哀史」も新聞の書評で知った本。父親が中国文化大革命のときに、米国に行った二世、が発展途上の都会で働く、農村出身の女性に焦点を当てて書いた、ノンフィクションもの。中国の発展の一断面。「灰色の午後」は寂聴さんの機縁曼荼羅から佐多稲子の逸話から。最初の感想が文章の力強さ(内容ではなく)。「灰色の午後」は昭和文学全集第六巻、中に、室生犀星の「あにいもうと」、堀辰雄の「風たちぬ」をよんだ。 「あにいもうと」ってこんな話だったのと、根拠のない先入観からはびっくりの内容。石田衣良「6teen」は、日本版の「17歳の肖像」か、ただし作者は既に・・・

2010年4月30日金曜日

「17歳の肖像」を観た

シネマ万華鏡の、★★★★★評を見て、日本酒歓評会の前に、見に行った。 ★五つの評は見たが映画評はスキップ。 原題、「Education」。16歳から17歳への過渡期における、「Education」。 時代は、1960年代の英国。 同時期に10代だったので、主人公との差は大きい。17歳を演じる新人女優、見る前に期待した17歳というより、二十代後半と思える存在感。作者のその後と、現状が気になる物語だ。

2010年4月19日月曜日

四月中旬41年ぶりの積雪の日、高尾に遊ぶ


4月17日の積雪は、41年ぶりという寒い朝、高尾駅北口に集合。 日影林道経由で、轍の中を満開の桜の城山にでて、一丁平の宴会場に。 天気は回復気味だが、行きかう人もまばら。 還暦を迎えた(迎える)五人を中心に、赤いシャンパンで乾杯、赤いワイン、赤のボルシチを楽しみ、さらに定番の鍋を囲み、雪上の高尾で花見と雪見酒を楽しんだ。

パンを焼く


翌日の高尾の花見に向けてパンを焼いた。 三年目の料理教室、「手作りパンの会」で習った、ウインナーポテトパンを焼いた。 教室では、強力粉80㌘+薄力粉70㌘で、ウインナーポテト二個と、きなこあんドーナッツ一個を作ったが、オーブンの能力は四人分の分量なので、強力粉320㌘、薄力粉280㌘でウインナーポテト、12個を作った。 
ジャガイモ600㌘を、二㌢角に切り、8分ほどやわらかくなるまで煮て、薄切りにし、水切りしたたまねぎと、マヨネーズ、調味料を適量をあわせて、マヨネーズを加えポテト状にしたものをトレイに用意する。 さらにトレイのポテトを12分割しておく。 
長めのウインナーを12本用意し、四つに切ったものを用意する。
パン粉にイースト菌、8㌘、砂糖大さじ4、塩小さじ1+1/3、混ぜたところに、卵一個半に、ぬるま湯あわせたもの、370㌘を加え、混ぜて、滑らかになるまでこねる。 次に、バター60㌘を加え手でもみこむように加え、こねて再度滑らかになるまで、こねる。 
手作りパンの、手作りを実感する一番の工程である。 滑らかになったら、三分割して円くそろえ、オーブン皿にオーブンシートを敷いたところに載せて、オーブンの発酵機能を使い、30分ほど一次発酵に進める。 倍近くになった生地を四分割し、各々円くし、タオルで五分ほどベンチタイムで休ませる。次の成形では、一つの生地を縦16㌢、横14㌢の楕円形にして、12分割したポテトを真ん中に置き、ウインナーを一本分を載せて、両側の生地に七本の切込みを入れ、左右の生地を交互に編んでいく。 
これを12個分行い、再度オーブン皿のオーブンシートの上に並べ、30分ほどの二次発酵に入る。 発酵後、1.5~2倍に膨らんだのを確認し、残った照りよう卵を使い、刷毛で表面に塗り、180度で15分の最終工程に入る。 
そして出来上がったものが、写真のもの。 実際はオーブン皿二枚を使ったが、下のオーブン皿をオーブンに入れた後に、上のオーブン皿を入れた際に、うまく入らず、下のオーブン皿の上に、乗っかってしまったので、一部のパンが、圧迫されてしまったが、出来上がったパンの味は同じ。 
半分を自家用とし、残りを翌日の、41年ぶりの積雪となった、4月17日の高尾山の花見に持参した。

2010年3月24日水曜日

明日香を歩く


明日香/飛鳥を歩いた。 前夜、明日香村の民宿に泊まり、1400年前からの飛鳥鍋を楽しみ、翌朝、8時半に宿をでて五分ほどの、石舞台へ。 整備されたエリアで、石舞台のまわりの桜の木が、開花直前の穏やかな日差しの中で、初めての石舞台、正確には、始めての明日香巡り。石舞台と行っても、実態は、古墳。6・7世紀の権力者の墓と思われるが、記録の類がないので、実態は不明。ただ、当時の権力者、技術者は朝鮮半島からの渡来人で、力仕事で動員されたのは、原住民と思われる。次に、岡寺へ向かう路を歩く。岡寺は、8世紀ころに建立された、仏教寺院。今では、西国三十三観音霊場の第七番札所になっている。仏教も、6世紀ころに朝鮮から入ったもの。岡寺から農地の間を下り、伝板蓋宮跡、中大兄皇子と中臣鎌足による、蘇我入鹿の暗殺が行われ、その後の大化の改心へと繋がる、最初の舞台。 中大兄皇子と中臣鎌足による、事前の談合が行われたのが、東側の山を越えたところにある、談山神社。次に、酒船石、亀甲石造物を見てから、近くの万葉文化館、ここはトイレ休憩。 その後、飛鳥寺に行き、高句麗形式の伽藍の話を聞き、蘇我入鹿首塚を見、桜が芽吹き始めた甘樫丘に登り、大和三山(畝傍山、耳成山、天の香具山)を望見し、麓から、カメバスで、高松塚へ行き、古墳と石棺内部の壁画館の説明を聞き、飛鳥駅まで歩き、半日の散策を楽しんだ。 日本の文化の発祥の地、その文化は朝鮮から渡来人により導入されたものって、中学・高校の歴史では学ばなかったことばかり(教わったけど、学んでいなかったのかもしれないが)。今年は、710年平城京遷都から1300年ということだが、飛鳥京は1400年ぐらいのはずだが、いかんせん記録が文字による無い。 明日香のお勧めの季節は秋ということなので、秋にできれば数泊の予定で再訪したい。

2010年3月19日金曜日

「水死」を読んだ。

久しぶりに、大江健三郎の「水死」を読んだ。 久しぶりというのは「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」以来だから、その間すっぽり抜けてしまった。 それでも新聞に載る書簡や所論は目を通していたので、そんなに距離感は無かった。 というか、「水死」の舞台、愛媛の山の中というおなじみの、舞台、登場人物は「個人的な体験」ほかでも常連と思える、大江の親族ほかが、狂言回しに。「水死」を読んで、改めて、「個人的な体験」から読み直してみないと、「水死」の行間をつかめないのではと強く感じている。

2010年3月12日金曜日

「カラマーゾフの兄弟」をついに読み終わった

「カラマーゾフの兄弟」をついに読み終わった。 亀山郁夫訳、新訳と呼ばれているやつだ。 きっかけは、昨年秋に、ラジオ深夜便で亀山郁夫氏がドストエフスキーについて語っていたのを聞いたこと。 Vol1から始まり、カラマーゾフ家のほかに、多くの登場人物がでてきて、いろいろな物語のなかで、ものすごい饒舌に話す物語。Vol5の解題の中で、物語のダイヤグラムで構図が整理されているが、そのくらい多くの場面で多くの物語を多くの登場人物が話をする力作であることは確かだが、一度読んだくらいでは、物語の面白さ、作者が意図したものは、把握できないと思う。 次回は、新訳でなく、旧訳で読んでみたいと思う。

2010年2月8日月曜日

「台北三泊四日の旅」 四日目最終日


台北四日目、最終日。 空港への出発が13時ホテル集合なので、午前中の時間が有効に使えるので、三年前に完成した新幹線に乗ることに。台北車站で、HSRまたは高鐡のマークをたどり、窓口へ。まずは発券機に進み、適当に選択すると何とか、10時06分発の各駅停車の普通席でビーフンの産地で有名な新竹站までの切符を購入。片道、32分で、245元。新幹線の社内は、日本の新幹線と同じというか、日本の新幹線の技術で作られているので、違和感は全く無い、一部、車両の出入り口のドアの開閉が自動ではなく、手動になっているくらい。台北から三つ目の新竹まで、50%はトンネルの中、10:38新竹站着。新竹站は市街地から離れたところに作られているので、周辺は空き地。帰りの切符は、窓口で購入、こちらは英語で要件を伝え、速やかに発券された。列車を待つ間、構内のスターバックスで一服。反対側にはモスバーガーの店もあった。帰りは、11:28発、12:00台北站着、西門站経由、台北牛乳大王で軽い昼食を味わい、ホテルに12:40着。台北の旅を一段落。

今回、発見したこと。
●台湾旅行の各種(食事、交通費)費用は日本の三分の一
●ガイドブックがあれば、ひとりで行動できる 
 市内バスは、バス停の案内が無いので、行きたいところを事前に 伝える
●都会では日本語が通じるし、いざというときは筆談も有効
●料理は日本人好みか
◎日本の観光地へ行くより、安く楽しめる

近いうち、台湾の温泉や、ローカル線の旅をと思っています。

「台北三泊四日の旅」 三日目


台北の旅、三日目。 ホテルのTVにはNHKの放送が入る。その中のワールド天気予報で、台北は26度になるとのことだったので、薄着で外出。その前に、朝食は昨日からホテルではなく、ガイドブックにあったホテルの近くで、七時半から開いている店、「台北牛乳大王」店で。九時過ぎに宿をでて、西門站から台北車站乗り換え、淡水線の終点、淡水站へ向かった。そこはかつてスペイン人が築いた砦、紅毛城の会った所。その後、オランダを経て、イギリス領事館がおかれその後日本軍も入ったところ。近くに港もあり、通りの両側には魚屋や食堂、土産物屋が並ぶ、観光地の光景が広がる。砦往復、二時間ほど過ごし、昼食は台北市内の小籠包ということになり、「鼎泰豊」の本店ではなく、忠考教化站近くの支店に向かう。14時過ぎていたが、店の前には行列ができており、店の前で番号とメニューを渡され、しばらく待つことに。88番と日本語で呼ばれ店の中に入ると、本店より広いフロアのテーブルをぬって奥の席に。ここでもビールと小籠包と餃子、酸辣湯他を楽しみ、その価格に納得し、また来たい店リストに。食後の散歩をかねて、一駅先の國父記念館站近くの、辛亥革命により近代中国への扉を開いた、孫文を記念する國父記念館により、一時間毎に行われる、衛兵交代式をまじかで見学し、小雨振る中、101に行き、展望台には行かず、地下のショッピングセンターを経て、市政府站まで歩き、宿に戻った。

三日目の夜は、ガイドブックに乗っていた、西門の餃子館へ。この日、26度近くに予報されていたが、20度にもならないなか、ダウンを羽織、初日、二日目の店とは一味下町風の店に入り、店のおばさんお勧めの、蒸し餃子、水餃子、焼き餃子を頼んだが、量のすごさにびっくりしながら残さず堪能。

「台北三泊四日の旅」 二日目


台北二日目。天気は曇り。ホテルの地下の朝食後、故宮博物館に向かう。MRT板南線で士林站まで行き、タクシーで博物館前まで。台湾のよいところは、タクシードライバーのほとんどが日本語を話してくれるので、しかも安い(初乗り70元、以後、250米ごとに、5元)。故宮博物院前には多くの観光バスが並んでいたが、その多くは、中国本土からのものとのこと。そもそも故宮博物院の収納物は北京の紫禁城の宝物を清朝末期の混乱期から避難されたもの。 北京の紫禁城に残されたものの多くは、1960年代から1970年代の文化大革命で破壊されてしまったそうなので、中国にとっての貴重な歴史遺産の宝庫になっている。ここでは、ガイドブックに載っている、「翠玉白菜」、「彫橄欖核舟」、21層の象牙の透かし彫り、他、団体客のガイドの話を聞きながら、数時間をすごしたが、展示物のさわりだけの駆け足になってしまうのも仕方が無い。


12時近くになり、そこから九份を目指した。時間が節約するために、故宮博物院前から、忠考復興站までタクシーに乗り、金爪石行きのバスに乗った。台北から一時間20分ほど、冷房の効きすぎたバスに揺られ、霧雨に煙る山道の中の九份へ。バスを降りたところで、ビニール傘を購入し、「千と千尋の神隠し」のモデルとなったと謂われる、茶店、「阿妹茶酒店」へ細い土産物屋が並ぶ坂道を進む。茶店は、お茶だけの茶店と、食事のできる食堂部分に分かれており、霧に煙る外観は中々、趣が深い。食事の前にお茶がでるが、このお茶の淹れ方のお作法があり、茶器を暖め、まづは茶の香りを楽しみ、その後、数度にわたって茶を入れて茶の風味を楽しむ。茶の種類によっては10回近くまで茶葉を変えずに風味を味わうことができるそうな。九份で三時近くまで、過ごし、帰りは寒いバスを避けて、タクシーで最寄の、瑞芳站まで、180元で下り、ローカル線で台北に戻った。台北二日目の夜は、火鍋を楽しみに、中山站近くの、「天香回味」へ。店の中は大混雑、数分待たされ、空いたテーブルに着いたが、すぐに火鍋の辛いカレーのような匂いが迫ってきた。メニューから鍋に入れる、肉類、魚介類、練り物、野菜から容易に想像できるものを選び、飲み物と一緒に注文。 しばらくすると、カレーの香辛料と唐辛子の激辛味スープとマイルド系スープの入った中仕切りのある鍋が登場、そこに好きな具材を入れて、しゃぶしゃぶの要領で食べたが、激辛風味のスープが適度に刺激のあるものの、なかなかのもので、美味い!!食べすぎているとは思うが、肉、他を追加注文し、最後は、そばで締めて贅沢で満足な夕食を終えた。

「台北三泊四日の旅」 初日


初めての台湾へ、台北三泊四日の旅。成田午前発のツアーで滞在中はフリー。ホテルはエコノミークラスだったが、西門にあり、地の利の店で申し分の無いところ。16時近くにチェックインし、小休止後、小籠包で知られた、「鼎泰豊」へ向かう。ガイドブックの地図を参考に、MRTで西門站から大安站までのクーポンを購入し、MRTに。忠考復興站で乗り換え、大安站で降り、20分ほど西に向かい、「鼎泰豊」本店へ。普段だと店の前に行列を覚悟といわれるそうだが、六時前だったせいか、直ぐに三階のテーブルに案内された。早速、小籠包(180元)を。もちろんビールと紹興酒も頼む。10個の小籠包が入った蒸篭と、生姜の千切りに醤油と酢を加えた小皿が揃うと、小籠包をレンゲに乗せ、生姜を小籠包にのせ、口の中に。熱いスープが口の中に広がり、生姜の風味と併せ、納得・・・・!他に、空芯菜、焼き飯、海老ワンタンスープを堪能。


食後、中正記念堂站まであるき、MRTで夜市で有名な、士林へ。士林の夜市へは、士林站ではなく、一つ手前の剣湛站で降りて道路を渡ったところから夜市の雑踏の中へ入っていく。夜市は、衣類系、ゲーム系、屋台系の三つから構成されており、屋台系の独特な匂いが全体を包む。屋台の中に、愛玉子の店もあったが、初日なので、軽い、タピオカテー(タピオカが何かを知らずに)を購入したが、量が多すぎて飲みきれなかった。一時間ほど夜市を楽しみ、MRTで西門站に戻った。

2010年2月2日火曜日

ゴールデンスランバーを見た。

ゴールデンスランバーを見た。 初雪の残雪が残る中、空いているだろうと思い、観にいったが、二割ほどの観客がいた。 映画は、原作の面白さをまったく損なわずに、仙台周辺の物語を映像化してくれた。配役も伊坂幸太郎ワールドにピッタリのキャステイング。監督は、伊坂作品三作目なので、伊坂ワールドの機微をつかんでおり、四作目が楽しみだ。

2010年1月26日火曜日

「カラマーゾフの兄弟 V4」、「森と湖のまつり・・・・

「カラマーゾフの兄弟 V4」、「森と湖のまつり」、「フィッシュストーリー」、「陽気なギャングが地球を回す」、「秘密」を読んだ。「カラマーゾフの兄弟」は残すところ、Vol5だけだが、図書館の予約済み冊数が、10冊のために新たな予約が出来ない。「森と湖のまつり」は、「挽歌」を読んで、久しぶりに読みたくなったもの。 最初に読んだのは、10代か、10代を過ぎてそれほど離れていないころ。覚えていることは登場人物のうっすらとした印象と、塘路湖の祭りだけだったが、改めて読み直して、新しい印象を得た。登場人物は、姓名を与えられているのは、佐伯雪子、風森一太郎、みつ、のみで、姓のみが、池博士、山城、名前だけが、鶴子、屋号だけが、福島屋、ノトロ館のおやじという。鶴子、みつは、魅力的なピリカメノコとして描かれているが、シャモの主人公、佐伯雪子は若いというだけで、どんなに魅力的かということは描かれていない。中で、「挽歌」の一シーンが借景されているところを発見。一寸、にんまり。作者の武田泰淳は、百合子さんという魅力的な奥さんがいることで知られているが、鶴子は百合子さんがもでるなのかな、そして池博士は作者自身かなと思う。 武田泰淳がこの本を書いた背景について、「『森と湖のまつり』をめぐって/(武田泰淳とビッキらアイヌの人たち)」を読んでみたいと思うが、図書館の予約リスト10冊が、新たな予約を受け付けてくれない。


そこで、家にある、伊坂幸太郎、「フィッシュストーリ」、「陽気なギャングが地球を回す」、東野東吾「秘密」を読んだ。
伊坂幸太郎の二冊は、読み心地の良い伊坂ワールドの二冊だ。「秘密」も一気に読んだが、読後感はあまり居心地の良いものとはいえない。昔、北村薫の「スキップ」を読んだときは、残酷な物語と思ったが、「秘密」は哀しい物語と思ったし、同じ状況には陥りたくないと思った。

2010年1月13日水曜日

バターロールパンを焼いた

成人の日にバターロールパンを焼いた。 前日に、パン焼き器でクレーム・オ・ショコラを作ったのだが、パン焼き器の一回に焼ける量が250㌘と少なかったので、バターロールパンは、500㌘の強力粉をつかい、手で捏ね、テーブルの上で、伸ばし、オーブンの発酵機能を使い、一時発酵、成形、二次発酵の前の、ベンチタイムが抜けてしまったが、なんとか成形し、二次発酵へ。その後、オーブンで焼き、一時過ぎに完成。パン屋で買うバターロールパンは、パンの外側が柔らかいが、今回のは少し、固めだが焼きたてのため満足な味。成形が今一だったので、写真はないが、おいしいコーヒーと併せて、定番のメニューになるかも。

2010年1月7日木曜日

山本文緒「アカペラ」を読んだ。

山本文緒「アカペラ」を読んだ。 これで、2010年初の三冊は全てカタカナのタイトルになった。「アカペラ」、「エッチユード」、「ネロリ」の三篇が入っている比較的新しい本だ。今年の三冊の中では、「アカペラ」が良いが、複雑な家族の展望が見えないストーリは好きなものではない。124回の直木賞を受賞したときの選考委員の評価がかなり高かったので、是非、「プラナリア」を読んでみたいと思い、図書館に予約を入れたら、すでに予約済みの本が九冊、二冊貸し出しずみということで、予約できず。ちなみに、作者は女性である。

2010年1月5日火曜日

2010最初の本を読む

2010最初の本を読んだ。 「トーキョー・プリズン」(柳広司)、「ポジ・スパイラル」(服部真澄)。「トーキョー・プリズン」は面白いと言う人もいるが、舞台、登場人物、謎解きと、オタクッポイマニアックなものを感じてしまい、!? 「ポジ・スパイラル」は斜め読みになったが、初期の作品のイメージからすると、服部真澄版”水戸黄門”のような印象だった。それくらい、時代は水戸黄門が求まられ続けているということか。

2010年1月1日金曜日

挽歌を読んだ

暮れに原田康子さんの「挽歌」を読んだ。 きっかけは、原田康子さんの訃報に接したこと。「挽歌」を知ったのは、昔、武田泰淳の「森と湖のまつり」を読んだころに、同じ北海道の釧路近辺を舞台にした作品として、一度読んでみたいと思っていたことが背景にある。1950年代という時代背景からか、当時ベストセラーになり、何度も映画化TV化された作品であるが、兵頭玲子の、「ムッシュはコキュ・・・」というせりふや、立ち居振る舞いを含めて、共感できる状況があまりなかったのかな、個人的には桂木婦人の章があったら別の見方も出来たのかなと、それとも還暦二年を経て、確実に年取ったのかな。


もう一度、「森と湖のまつり」を読みたくなった。