2008年6月26日木曜日
記紀を読んだ。
記紀を読んだ。 というより、オリジナルは漢文なので解説書を読んだ。正確に言うと、オリジナルの写本の解説書だ。 どちらも、日本の古典の代表となる書という風に、理解していたが、これまで義務教育で中身に関して解説を聞いたことがなかった。 が、今度解説書と読んで、中身について義務教育で解説するほどの内容はないことを理解した。 古事記は、712年、日本書紀は720年に作成された言うことだが、どちらも天武天皇の時代ということで、時期的には7 世紀に大陸から中国、インドの文化が伝播され、定着したころのことだ。 それまでは独自の文字も不明瞭で、歴史書の類もなかったところで、大陸からの文化に影響されてのことと思う。内容は、当時の権力者の権威付け以外の何物でもないもので、記紀のいづれも神話から説き起こし、当時の権力者の系統を記録したもの。どちらも主な物語は、子孫を残すことと、敵を倒すことの繰り返しだ。 おなじころ、大陸で著された文献の種類の多さと、内容の豊富さは目を見張るものがある。 先日、鑑賞した薬師寺の日光菩薩・月光菩薩も同じころに大陸からの技術と技術者により作られたものだ。
2008年6月22日日曜日
芥川賞全集第五巻から
芥川賞全集第五巻から、松本清張 「或る「小倉日記」伝」、吉行淳之介 「驟雨」、近藤啓太郎 「海人船」、開高健 「裸の王様」、安岡章太郎 「悪い仲間」、「陰気な楽しみ」、庄野潤三 「プールサイド小景」、小島信夫 「アメリカンスクール」を読んだ。 といっても一気に読んだわけでなく、散発的な読み方だが。 これらは昭和27年から、32年にかけての受賞作である。 この期間には、他に五味康祐 「喪神」、遠藤周作 「白い人」、菊村到 「硫黄島」もあるがなぜか数ページをパラパラとめくっただけで、今回はパス。 「プールサイド小景」は作者と題名からは信じられない物語が淡々と描かれており、「アメリカンスクール」は時代の背景を考えなければ時代錯誤の喜劇とも取られる登場人物と光景があった。 「驟雨」は戦後の光景と作者の健康状態が題名につながっているのか、あたりまえだがこの時代の作者は大正生まれが主で、石原慎太郎、開高健、大江健三郎から昭和生まれが中心になってくるが、そういう時代で、戦後生まれには理解できない経験を有している人たちの作品といえる。
2008年6月19日木曜日
駒の湯
駒の湯は幾つかある。 越後駒ケ岳、会津駒ケ岳、木曽駒が岳の麓にもあるが、今回の岩手・宮城内陸大地震で被害にあったのは、栗駒山の麓の駒の湯。何十年か前、上野発東北線の夜行で早朝石越で降りて、栗駒鉄道で栗駒駅で下車、バスで駒の湯まで行き雨の中を栗駒山に登ったことがある。 夜行で行ったので、駒の湯には泊まらなかったけど今回の地震で次に泊まれる機会は見えない。 駒の湯の南西にある湯の倉温泉も、今回の地震の被害を受けており、いつ再開の目途はまったくたっていない。湯の倉温泉は温湯温泉近くの駐車場から数十分歩いて行く山の中の温泉で新緑か紅葉のころ行きたいと思っていた温泉だ。残り時間と行動の選択肢が徐々に少なくなっていくというのはなんともいえない思いである。
2008年6月12日木曜日
石原慎太郎 「太陽の季節」、丸山健二 「夏の流れ」を読んだ。
石原慎太郎 「太陽の季節」、丸山健二 「夏の流れ」を読んだ。 どちらも23歳での芥川賞受賞だ。 23歳での受賞者は、他に大江健三郎がいる。大江健三郎についてはじっくり読み直してみたいと思う。 「太陽の季節」の読後感は、うらやましいというか同じ大学生でもこんなに恵まれているのかと感心した覚えがあるが、それはあまり変わっていない。 大学生のころからヨットやナイトクラブへの出入り等、住んでいる世界が違う思いだったが。 「夏の流れ」は期せずして、凶悪事件の直後に読むことになったが、23歳でよく書けたものと、こちらは別の意味で感心した。「太陽の季節」には物語のエッセンスのような経験が背景にあることは容易に想像できるが、「夏の流れ」ではそれは想像できない物語だ。
2008年6月11日水曜日
芥川賞を読み続けている。
芥川賞を読み続けている。 最近の辻原登、吉田修一に始まり、古井由吉から昭和二十年代の作品を読み直し始めている。 芥川賞で面白いのは、それぞれの受賞作の面白さもさることながら、選考委員の選考コメントを読むのがなかなか面白い。 選考委員は大御所と思われる作家が担当しているが、彼らの個性も好みも一律ではなく、ある委員に言わせると、「人生派」と「唯美派」に大きく分かれるそうだ。唯美派には川端康成、井上靖、舟橋聖一氏が該当するそうな。 なぜか読んだことのない、舟橋聖一さんのコメントが違和感がない。 是非、芥川賞は芥川賞全集を読まれることをお勧めしたい。 今週は芥川賞全集五巻に時間を割きたいと思う。 五巻には石原慎太郎、大江健三郎、吉行淳之介、安岡章太郎、遠藤周作、開高健他そうそうたる作家の作品が集まっている。
2008年6月10日火曜日
津村節子 「玩具」、高井有一 「北の河」、柏原平三 「徳山道助の帰郷」 を続けて読んだ。
津村節子「玩具」、高井有一「北の河」、柏原平三「徳山道助の帰郷」 を続けて読んだ。 それぞれ物語は違うが、共通点として個人的な経験をベースに書いていることかなと思う。 作家の経歴を見るとそれぞれの物語に関係がありそうな事象が見える。 もちろん体験したことをそのまま書いているわけではないだろうが、「玩具」は夫婦の、「北の河」は母子の、「徳山道助の帰郷」は祖父と一族をテーマに書いている。 三人は昭和40年から42年にかけて芥川賞を受賞したのだが、そのころは大学に入ったころで、何をしていたのだろうか?
2008年6月8日日曜日
柴田 翔 「されどわれらが日々ーー」を読んだ。
柴田 翔 「されどわれらが日々ーー」を読んだ。 午前中に、10㌔ほどウォーキングし、昼食後、一気に読んだ。 題名を記憶しているほどに内容は覚えていなかったが、読み進むうちに構図を思い出した。 六全協前後を舞台装置に、二人の死と、その背後の幾つかの別れと出会い。 主人公がH全集を手にすることから物語が始まるが、H全集って? 誰のだろうと思ったが、序の言葉が堀口大学訳の文章ということから可能性として堀口大学全集か? 作品が書かれた時代背景は、六全協から1955年前後と思われるが、この時代はまだ小学校入学前後なので、一寸分からないが、「されどわれらが日々ーー」 それぞれの時代に、”それぞれの日々”はあった。
藤沢周平 「三屋清左衛門 残日録」を読んだ。
藤沢周平 「三屋清左衛門 残日録」を読んだ。 久しぶりの藤沢周平の三屋清左衛門、状況は似たようなものか。15編の物語の背景には藩主交代と、執政職交代があり、旧友との出会い・別離ほか。 現役で活躍できる力がありながら一線を退き、それでも時々請われて影響力を行使する残日録。見習いたいものである。
2008年6月6日金曜日
塩原・尾瀬を歩く
第2回塩原温泉ウオーキングフェスティバルに参加して、新緑の中、塩原・尾瀬を堪能した。 例年より早い梅雨入り直後の初日は雨の中、箱の森プレイパークに集合し、大沼コース(7㌔)と、温泉街の5㌔、10㌔と15㌔コースに別れ塩原の新緑を一身に浴びながらウォーキング。 私は大沼コースに参加し、バスで塩原温泉新湯へ行き、大沼往復。 二日目は今回の目玉の尾瀬コースへ。朝食後、七時過ぎの三号車に乗車し御池経由沼山峠へ。事前に今年の尾瀬は残雪が多く尾瀬沼一周は出来ないとのことだったが、沼山峠から歩き始めると直ぐに残雪が出迎えてくれた。峠を越えて大江湿原に出ると水芭蕉の出迎えを受け長蔵小屋まで木道ウォーク。燧ヶ岳は雲の中だったが、久しぶりの尾瀬を堪能。次回は尾瀬一周ウォークに。
2008年6月1日日曜日
古井由吉氏の、「杳子」を読んだ。
古井由吉氏の、「杳子」を読んだ。 「杳子」で芥川賞を受賞した直後に読んで以来だからかなり時間が経過しているが、最近の芥川賞受賞作家の作品を読み久しぶりに読みたくなった。 「杳子」で印象に残っているのは最初の、K岳からのO沢へのくだりでの出会いから始まり最後まで続く、「杳子」の奥行きも左右つかみ所のない、曖昧で微妙な印象。 K岳は勝手に、甲武信ヶ岳、O沢は稜線を北に下る西沢ではと勝手に脚色したが、「杳子」については当時の少ない語彙では形容する言葉がなく、「杳子」という名前が全てをあらわしているように思っていた。 作者が、「杳子」とした理由がそこにあると思う。 「杳子」。
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