2008年3月31日月曜日
渡良瀬遊水地を歩いた
渡良瀬遊水地周辺を歩いた。 第9回古河まくらがの里・花桃ウオークに参加し、初日は古河市内中心の、二日目は渡良瀬遊水地周辺を歩く、各々20㌔のコース。 前日、アスレチックで汗を流したあと、カタクリ満開のニュースに誘われ、佐野市のみかも山公園経由で古河市へ。みかも山へ向かう途中、東北道走行中にシャワーのような雨が降ったが、公園についたころはほぼ上がった状況で、公園の中を散策。 ここでも一汗かき、かたくりを観察し、古河市の宿へ。翌日、古河総合公園での開会式後、9時半スタート。渡良瀬川の左岸を下流にしばらくあるき、日光街道・古河市内を北上、野木神社から渡良瀬乗馬クラブを抜けて、再度、渡良瀬川左岸経由で、古河市内へ。古河歴史博物館、長谷神社を経て、フラダンス真っ最中の総合公園へ。 13時20分、20㌔を四時間弱、昼食時間、10分。
二日目は午後から雨の天気予報のなか、渡良瀬遊水地周辺のウォーキング、渡良瀬地区は何度か車で通り過ぎるだけだったが、初めて遊水地を見ながら歩くことができた。 周辺はサイクリングロードが整備されており気持ちの良い地域だ。三国橋を右岸に渡り、中央エントランスから渡良瀬遊水地のサイクリングロードを時計回りに、180度周遊。12時を過ぎるころから風が強くなり、同時に気温も下がり始め、13時45分にゴールしたころはふた汗かいた長袖シャツでは寒い状況。 ゴールイン後、速やかに駐車場に向かい、汗でぬれたシャツを交換し、一路、自宅を目指したが・・・・・・
2008年3月25日火曜日
「蝉しぐれ」を読んだ
水郡線から奥羽線
水郡線から奥羽線のローカル線に乗った。 松戸から水戸まで常磐線、水戸から郡山まで水郡線、郡山から福島まで東北線、福島から米沢まで奥羽線。 水郡線と奥羽線のダイヤが限られており、通してのる選択肢は一つ。 自宅を、六時半にでて、三両編成(常陸大子で一両切り離し)水戸発九時23分郡山行きにのる。片側づつ四人と二人の対面式で窓側は埋まっており、通路側の後ろ向きに座り、春の陽気のなか出発。しばらく民家の間を走り、常陸大宮を過ぎるころから里山の間になり、山方宿あたりから久慈川沿いに進む。 袋田で何人か降り、窓側に写る。しばらく久慈川とともに進み、矢祭山から福島にはいり、東館あたりから田園風景の中を進み、磐城棚倉、磐城淺川、泉郷を経て安積永盛で東北線に入り、12時33分に郡山着。そのまま、福島行きに乗ると、福島着、13時 28分着で、奥羽線の米沢行きが15時56分まで待ち時間があるので、二本松で途中下車。二本松は、昔、二度降りたことがある駅だが、そのころの駅前の面影は全くなく、関東地方の郊外の新駅の雰囲気。 まずは表通りを散策するが目当ての蕎麦屋はなく、和菓子屋の多いのが目に付く。しばらく北に向かったが一筋下ったところに蕎麦屋ののぼりを発見、表通り一巡り後に立ち寄る。店の前の「桜蕎麦」を眼にし、店の中へ。閑散とした表通りの割には、店の中には何組かの客が。 二本松は奥の松酒造(大七もある)あるので、吟醸酒と鰊の甘露煮を頼み、時間を潰す。 列車の時間を確認し、季節限定の桜蕎麦(二本松はまだ開花していないが)を頼む。 そばは気持ち、桜色、味は普通の蕎麦で、客が耐えない店である。二本松から福島へ行き、一時間近く、ホームをぶらぶらし、二両編成の奥羽線(JRでは奥羽新幹線と称しているが)へ乗車。福島を出て山の中に入ると線路の両側にはまだ残雪が、板谷、峠、から夕闇始まる米沢盆地へ到着、334.8㌔、10時間半の旅、一段落。
2008年3月20日木曜日
藤沢周平 「風の果て」を読んだ
藤沢周平の「風の果て」を読んだ。 蝉しぐれを読もうとして、図書館で全集を借り、「風の果て」から読んだ。 読む前は短編集かと思ったが、藤沢周平の最初の長編になった。 物語は、筆頭家老の桑山又左衛門への野瀬市之丞からの果たし状が届く場面から始まり、その昔、片岡道場に集った五人の若侍の交流から果たし状が届くまでの一つの大河ドラマである。何人か女性は出てくるがあくまで脇役としてである。五人の若者の出仕は、一千石の上士から50石の下士。背景には徳川時代の藩と農民の置かれた厳しい状況があり、その中での時代の波にもまれながら、勝ち残るもの、失脚するもの、憤死するもの、流されるものを描いており、読み応えのある物語だ。 次は、「蝉しぐれ」を読むが、楽しみである。
2008年3月18日火曜日
箕作り弥平商伝記を読んだ
熊谷達也氏の、「箕作り弥平商伝記」を読んだ。熊谷達也氏は最近、新聞を賑わせたが、「はぐれ鷹」、「邂逅の森」に次ぐ三作目である。読み終わるまで、「箕」の何たるかを知らなかったので、その分、一気に読んでしまった。読み終わってから、「箕」を調べ、時代の背景と併せ、物語の構図が理解できたように思う。 時代は、大正時代、関東大震災前後、場所は秋田と関東の「箕作り」を取り巻く物語。「箕作り」業のおかれた状況への言及は弥平の無知ということであまりなく、時代の歪を淡々と記述したのか。最終章は伝記とするにはあっけない終わり方で、この続きを予定してのことかどうかだが、最近の熊谷氏の起こした事が続きの執筆への影響は少なくないのではと思うが。
2008年3月11日火曜日
母べえを読んだ
野上照代さんの「母べえ」を読んだ。映画「母べえ」の原作で、元もとの題は、「父へのレクイエム」。作者が父親の享年を越えたとき1984年の「第五回読売ヒューマンドキュメンタリー」に応募したもの。父親の野上巌氏が思想犯として特高に検束された朝から、巣鴨刑務所で急死するまでの書簡を軸に、父べえ、母べえ、恵美ちゃん、山ちゃん、初べえ、照べえ、奈良のじいさん、他、映画の配役どおりの登場人物が記されている物語。「母べえ」は、父べえが39歳1ヶ月で獄中で急死したところで終わっているが、本ではあとがきに、実際の野上巌氏は昭和32年57歳で亡くなっているとのことを知り、ホットした。それなら、是非、「母べえ」の戦後編を希望したい。それと、恵美ちゃんと山ちゃんのそれからについても。できれば、恵美ちゃん役は、檀れいさんで。
2008年3月10日月曜日
2008年3月3日月曜日
はぐれ鷹を読んだ
熊谷達也氏の「はぐれ鷹」を読んだ。 舞台は月山山麓、鷹匠を志す青年と角鷹(熊鷹)の物語。 ぞっとする導入部から、非現実的な物語展開のせいか、読んでしまった。 「はぐれ鷹」を手にしたのは偶然で、最初は「邂逅の森」を読みたいと思い、図書館に予約したら、「はぐれ鷹」が直ぐに読めることになったため。 「邂逅の森」は山本周五郎賞と直木賞を取った作品で、「はぐれ鷹」はその後に書かれたものという違いがあるが。「はぐれ鷹」は通常の社会生活からはぐれて鷹匠への道を歩む岳央と、師匠、師匠の孫、神室合、久美、ほかが脇役として登場し、最終章の月山号との短い闘争の物語。雪山での生活や、角鷹の調教の様子が、今一つイメージしにくいが、次の展開が読めないことが最後まで読んでしまった理由かも。 さて、「邂逅の森」は明日、入手できるがどのような物語か楽しみである。
2008年3月2日日曜日
南房総フラワーマーチ
南房総フラワーマーチに参加した。 Walkingを始めようとして、日本ウォーキング協会と地元のウォーキング協会に入会して、最初の大会が、第18回南房総のフラワーマーチになった。 南房総の千倉を拠点にするので、同じ県内でも前泊が必要になり、料金の観点から相部屋での民宿を希望して二泊した。まずは民宿で出であった皆さん。7畳半の部屋に、三人、昭和16年生まれと20年生まれに団塊の世代、別の部屋に、80歳と70歳の姉妹。いずれウォーキングのベテランで、一人は関東地方のウォーキング協会の役員、一人は、40㌔コースで、海外のウォーキング大会にも何度か参加しており、さらに芭蕉の奥の細道や、四国の遍路を歩いている。姉妹もウォーキング大会の常連で、来週の倉敷の大会にも参加するということで、刺激の強い話にただただ敬服するばかりで、まだまだ若造だと素直に実感。
さて、ウォーキングのほうだが、初日、二日目と20㌔コース、実際には23㌔ほど歩いたが、フラワーマーチといっても、歩いた道路はほとんど舗装されており、両コースとも前半は南房総の山側の道を、後半は、海岸沿いの車道に沿った道を歩くことになり、足への負担は少なくない。 参加者はゼッケンに出身地と参加回数等を書きザックにくくりつけて歩くが、10回を越える人や、団塊の世代か、1回目というのが目立った。一日目は地元の小・中生も参加しており、総勢で、4千人弱、二日目は、半数ぐらいか、ウォーキング、散歩という雰囲気ではなく、ウォーキング、で歩く。
今回のコースは、初日、二日目の後半の海岸沿いのコースより前半の山側のコースがお勧め。 特に二日目の山側は、スタートの千倉中学校を出て直ぐのところに、高家神社(ここは時間をかけて訪れたいところ)があり、さらに海岸から数キロとは思えない、山中の林道(舗装されているのが難だが)、ちょっとした渓谷あり、山中のトンネルあり、竹林・杉林と山村の光景ありで、里山あるきの趣。
ウォーキング初参加の印象は、ウォーキング専用の道が少なすぎるというかほとんど無いのではと感じた。 二日目の後半の海岸通では、ウォーカーと逆の方向に多くのサイクリストが疾走していったが、彼・彼女たちは、狭い車道を走っているわけで、これも自転車専用の道路が無いという、国の品位の表れか。
民宿の相部屋は大成功。 同宿の皆さんからの刺激、おいしい食事、夜は、21時に消灯。 二泊で、飲んだ日本酒、6合、ビール一本(初日、宿に帰って一風呂浴びた後の久しぶりのビールでした)。
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